May in the dark

生きるのに困ったら

今世界で起こっていることはこんなにも簡単な事なのに

2020年前後は、きっと100年後の歴史書からしたら、世界恐慌に並んで激変の時代として、学校で教えられるんだろう。

けれど、どんなにテクノロジーが発展しても、どんなに世界情勢が変わっても、人の本質は変わらない。

人の本質とは、食べる。寝る。愛しあう。そして死ぬ。それだけだ。

だから、どんなにテクノロジーが進化しても、どんなに人口が増えても、どんなに世界経済が悪くなっても、この4つだけは絶対に変わらない。

明日の予測が困難な時代だ。と言っている人達は、多分、バカだ。いや、それは馬鹿じゃなくて、きっと前世での行いが凄く良くて、生まれつき恵まれた人達なんだろう。美味しいものを食べることに、安心して眠ることに、好きな人と愛し合うことに。多分、それほど困ったことがないんだろう。って思う。

「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」 と似たような事を言う人がいっぱいいる。そうじゃないんだ。

マズロー欲求は本当によく出来ている理論だと思う。5段階の奴が有名だけど、マズローが最期に残した欲求説は6段階ある。下三段が生物としての人間の欲求、上三段が人間としての人間の欲求。すなわち、生理的欲求・安全欲求・社会欲求・尊厳欲求自己実現欲求・自己超越欲求である。

さて、この低次の欲求が満たされないとどうなるか。話は極めて簡単。

社会欲求が満たされないと、いじめや差別や偏見が発生する。自分と同じ物で周囲を囲い社会的欲求を得ようとする(←今世界はこのステージに居る)

安全欲求が満たされないと、攻撃してくる他者を恐れて攻撃を仕掛ける。暴動から始まり、最後は戦争に至る。(←このまま行けばこのステージに突入する)

生理的欲求が満たされないと、もっと程度の低い事。つまり、略奪と強姦が頻発するようになる。(←生理的欲求が満たされない人の数だけ発生する。)

たったコレだけの話なのだ。

今、世界にどれだけ社会欲求が満たされない人が居て、どれだけ安全欲求が満たされない人が居て、どれだけ生理的欲求が満たされない人が居るのか。考えたらこの先、世界がどう向かっていくのかが分かるだろう。

人間の闇とは、人間の生きる行為そのものなのだから。

覚悟なら無い(Kとは違う

認知行動療法。というものがどんなものなのかは、皆目検討もつかないが、少なくともわかっていることは、

  1. 「変わる覚悟」を求められるということ。変わる過程で、精神へ非常に大きなダメージを与えるということ。「心」という見えない存在に対して、破壊と創造のイノベーションであること

  2. 生きてきた年数分だけ、治療に時間がかかるということ。

  3. 治療を実施する者は、私よりも思慮深く、私よりも心について、人間について理解している者でなければならないこと。また、周囲の者の協力が必要不可欠なこと。

1 に関しては、正直不安がある。自分が自分でなくなるのではないか。つまり、今の自分は死んでしまうんじゃないだろうかと。(肉体的な意味ではなく、心的な意味で)

2 時間に関しては、あーざっと25年はかかるのねー。と思ってる。 なんせ、私のココロとは、25年近く生きてきた結果の産物なので、それを覆すには3年じゃ足りないだろう。先を思うとゾッとする。

そして、3 コレが一番の大問題なのだが、私の治療を担当できる先生なんて果たしてこの世に居るのだろうか。居るとしたら、どれだけの大金を積めば良いのだろうか。もしそんな人が居て、名乗り出てくれるのであれば、是非、連絡先と金額を教えてほしい(笑)

今も通っている心療内科?の認知行動療法士さんとは合わなかった。凄く真面目で熱心な方で、決して悪い人ではないのだが、私のほうが上を行ってしまった。つまり、私が築いてきた人間観を覆せなかった。

ましてや周囲の協力なんて皆目検討もつかない。

以前私を担当し、自閉症だと診断した医師は、「私は経験から学ぶ。大人や周囲の言うことは信用できない。やってみなきゃ納得できない」と言う私に対して「そこがあなたの問題です」とはっきり言い切った。

確かに、大人になった今の私にとっては、問題だと思う。なんとかしなければならない。と思っているがどうしていいかわからないから困ってる。

けれど、幼かった子どもの私にとって、それは私の問題ではなかった。

つまり、幼い私がアホな事をする前に、私を諭せたり、私が信用できる大人が周囲に居なかった事。コレが最大の問題だった。

以前書いたが、幼いころの私は母の人形で父のペットだった。

少なくとも父は、幼いころの私に対しての接し方を反省しており、逆にこちらが申し訳ないくらい下手に出ることが増えて、それはそれで問題なのだがそれはさておき。

教師がまるで無能なのは、小2の時から知ってた。特に小3の担任はひどかった。いじめ問題にても足も出せなかったし、小5・6のときの担任は、子どもを自分の思想だけで支配して自己満足を得るやつとんでもないヤツだった。

まぁ、小5・6のときの担任のおかげで、私は、理系人間には至極珍しい詩的センスを用いた文章力を手に入れることが出来たので、一概に100%悪いとは言えないのだが……。

メンターを探している。

私より思慮深く、私より心の優れた、私を導いてくれる大人を、ずっとずっと、幼い私が求めてる。

May in the dark

技術ブログとは別に、ブログを立てた。

コンセプトは、闇の中であろうとも生きる。

高校生の時も似たようなブログを書いていて、大学生の時は、だんだん書きづらくなって辞めたのですが、やっぱり自分の考えを整理する場所がほしい。ということで、書き連ね始めることにした。

アカウントが紐付いているから、いつか誰かにばれるんだろうけど、それまでは、匿名の一人ということで書こうかなと。

以下は自分に課すルール。

  • 固有名詞は出さない
  • 闇をただ吐くだけじゃなくて、どうしたらその闇を解消できるか、または回避できるかを書く。

Google 検索は役に立たない。 悩みを抱えても、検索窓に入れても、出てくるのは意味不明なキュレーションメディアばっかり。 意味不明なキュレーションメディアも悪いけど、それよりも、ネット上でブログを書く人が減っている気がする。

だから私は堂々と書く。 同じ悩みを持つ人が居て、ここにたどり着いて、何かしらのヒントを得る事ができたなら、 書いて、公開することに意義があるんだと思う。

2016年12月11日 May in the dark を書いてる人