May in the dark

生きるのに困ったら

人間を1週間で精神的に病ませる方法


極めて簡単で、1日6時間、シャベルを持って穴を掘らせる。
意図はない。あったとしても「ただ掘れ」とだけ伝える。


そしたら、今度は6時間で、掘った穴を埋めろという。
もちろん意図はないし、あったとしても伝えない。


これを7日間繰り返す。
7日でダメなら14日。
14日でダメなら一ヶ月。
それでもダメなら1年間………。

 

 


人間は、必ず壊れてしまう。

 

 

 

 

 


でも、これが、「土を柔らかくして作物を育ちやすくする」
と、意味を与えられたら、少しは長持ちする。


次は、
「理由はわかったけど、じゃぁなんで俺がやらなきゃいけないんだ?」
という疑問が湧いてくるので、それに答える。

 


上と同じようなこと、子どもや、部下や、奥さんや、旦那さんにしてませんか?
「意味」の感じられる、学びや仕事、人間関係。やってますか?

 

黒背景に白字って怖いよね

表題の「黒背景に白字が怖い」っていう感情は、多くの人間の本能に近いレイヤーだと思ってて、多分、何かしらの危険を知らせる信号だったんじゃないかなーって思う。

 

 

私の中では、この色はすごい安心感のある色で、私のことを守ってくれるような、安心感を覚える色なんです。

 

 

たまーーに、個人制作サイトで、「この色センス見辛い」って思うやつがあるけど、同じように、製作者がその色に安心感を感じているんじゃないかなーって思う。

 

 

 

人間の心は木々の年輪のような構造

これ、あまり心理学会でもキレイな解説が無いんだけど、 個としての人の心は地層の構造と極めて似ている。

人の心は、地層だったり、木々の年輪だったり、要するに、幾つもの層が重なって出来ている。

最も中心には、胎児期の心があり、最も表層には現在の自分の心がある。 人間は成長によって、心が変化しているのではなく、過去の自分の心の外側に1層、心を重ねていくのである。

もちろん、外側の層は、内側の層にも影響をあたえるので、徐々に過去の自分が形成した心も変化するんだけど、そんなに大きくは変わらない。 また、ACとか、トラウマとか、所謂心の傷というものは、内側から心が腐っているイメージなので、正直どうしようも出来ない。出来ることは、外側の層を分厚く固めて、内側が腐っても、木が折れないように補強するしか無い。

さて、コレだけなら、幼少期に心の形成にコケたら終わりで希望がないのだけど、一つだけ希望を提示したい。 それは、社会心理。

木で例えると、根を張っている大地に相当するのかな。 私達人間は、社会的な生き物なので、社会からも影響を受けている。それは、自分が所属しているコミュニティだったり、その時代の空気だったり。また、人間は植物と違って動くことが出来るので、自分が所属するコミュニティをある程度選択することが出来る。

木々が地面から水や養分を吸い上げるように、我々も社会から影響を受けている。 周囲のコミュニティが良ければ、内側から自分の心を癒やすことが出来るかもしれない。

もし、あなたが、限界を感じるなら、住む社会を変えてみて。 何度、変えてもいいと思う。幼い頃に積み重ねた心を癒やすかもしれないよ!

滅びゆく故郷、色あせていく情景、廃れていく社会、そして


私は大阪出身なのですが、外国人に故郷を説明する時は、「京都出身だよ」的な感じで、エセ京都人をしてます。

というのも、外国人に伝わる日本の地名って、「Kyoto」「Tokyo」「Fukushima」「Mt.Fuji」くらいしか無くて、(福島が入ってるのが辛いところですが)、わかりやすさ重視ということで「京都の近く」って答えてます。間違いじゃない。余談ですが、奈良は京都の一部だと思われてます。

 

私は今、東京に住んでます。
何があっても、絶対に故郷には戻らないと決めています。
(もちろん、お正月やお盆休みなどの帰省はしますけど、ここで言う「戻る」とは、住む(大阪府民に戻る)という意味です)

 

故郷に戻らない理由は、色々ありますが、以下の3つが大きいかなって思います。

1. 小中高大と、それぞれのフェーズで仲良かった友人がほぼ全員東京に住んでいる。

2. 少しでも両親の影響範囲から遠ざかりたい

3. 滅びゆく街、色あせていく故郷を見るのが辛い。

 

1 に関しては多分特殊な事情で、本当に仲良かった友人はほぼみんな東京に居るのです。なので、むしろ地元に帰ったほうが友人が居ない。笑

 

2 に関しては、まぁこのブログに書いてあるとおり。

 

3 に関して。

例えば、昔良く遊んだ森が伐採されてデパートになった!とかなら、たしかに寂しさはありますが、街は変化している。と感じるのですが、違うのです。

 

昔遊んだ公演が昔のまま、しかし整備はされていないから、ボロボロに。

昔よく行ったデパートが、シャッター街に。

昔通っていた学校が、20年前の姿のまま(しかし風化してボロボロに)

 

そう、徐々に廃れているのです。街が死に向かっているのです。同時に、街中で見かける人も、ほとんど老人になってしまいました。その中に居るだけで、自分の精神年齢が50も60も老けてしまう。まるで自分自身もジジババになったような、そんな世界がそこにある。

 

要するに、地元に帰るたびに、すごい勢いで鬱になるのです。

だから、私は戻れない。

 

 

 

 

ここまで故郷ディスをしたけど、じゃあ東京はどうなんだ???

と言われると、同じなんだよなー。。。

 

というか、もっと酷いと思っていて、未だに昭和懐古のお店が大量に蔓延っている。人口が多い分、8年後(東京オリンピックが終わった後の2025年くらい)は、もっと滅びているし、色あせているし、廃れた社会が迫っている。

 

じゃぁインターネットは??

それよりももっと酷い。まだ君ら私と同じ20代でしょ?というような人達が懐古厨になっている。未来に希望が持てないから、過去にすがるしか無い。そんな現実を突きつけてくる。

 

過去を捨て、未来を持てない私は、刹那的にしか生きることが出来ない。

そんな状態で、良いのだろうか

 

自殺を考えたことはあるか?

基本的にこのブログは、訪問者が居ない前提で書いてる。

こんなタイトルで記事を書いて、このブログに辿り着く人は間違いなく自殺を検討してる人(あるいはしたことがある)か、周囲に危ない人がいるかのどちらかだと思う。

そんなメタ的な話はさておき、自分の実体験を語ると生まれて始めて自殺を検討したのは小3の時だ。

だから、「小学生で自殺って考えられない」なんていう大人を見てると「こいつらほんと脳天気に生きてきたバカなんだな」って思う。

私で小3なんだから、もっと早い人は小1とか、もしかしたら小学校以前かもしれない。

私の両親は、「突然お前は死ぬのが怖いと言い出したが、ちょうどその頃は、ニュースで池田小事件が報道されており、年の近い子どもが何人も殺されたという事件は、子どもにとって相当ショックだったんだろう。って思った」 と後になって語っているが、それはとんだ見当違いである。

私は当時、本気で自殺を検討していた。この世から消えたいと思っていた。理由は色々あるが、そのうちの1つに「いじめ」が有るのは間違いなかった。

この時、私は真剣に「死」とは何か、調べ、考えた。それ以前の私は死についてあんまり分かっていなくて、「人間は死んだら姿が見えなくなって幽霊になるんだーー」って真剣に思ってた。実に小学生らしい発想で良い。

が、この時を境目に死について完全に理解した。理解したから死について、本気で恐怖したのだと思う。

でも、私にはこの自殺という以外に他の選択肢が発見できなかった。だから、ずっと恐怖し、ずっと葛藤した。

…………

さて、じゃぁなぜ自殺を考えたのかという話に戻るが、

「自分はこの世に居ないほうが良い。自分はこの世に生まれてくるべきではなかった」

という考えが、小3のときの自分には既に芽生えていたからだと思う。私のようなダメな子どもを持って両親はさぞ苦労したんだろう。私が出来ていなければ、両親はもっと幸せだったんだろう。

という考えが根本にあったからだと思う。

まぁ、今となっては馬鹿馬鹿しい話だと思えるが、当時は本気でそう思っていた。

次に考えたのが、どうやって死ぬのか。 高所恐怖症の私には、飛び降りは無理だと思った。(最も手っ取り早くて楽なのは確かなのだが)

何処かに放浪して飢え死ぬか凍え死ぬか。いやー絶対警察に見つかるよなー。水死は嫌だしなー。ってなって、結局切腹が一番いいんじゃないかってことで、台所で包丁をあさっていると………。

母が帰ってきた。

私は慌てて台所をさり、トイレに居たことにして、 笑顔で母を出迎えた。

…………

今にして思えば、その時から私は人形になったのだと思う。

多分私よりも頭の良い賢い子は、もっと早くに自殺を考えていたんだろうなって、思う。 幼稚園児でも、自殺を考えるケースはあるぞ。実行に移す可能性もあるぞ。

nostalgic phantasm

男子校 / 女子校だった母校が少子化の煽りを受けて共学になる。 部活の強い学校が、学力問題の煽りを受けて進学校になる。

あなたがおとなになって変わっていくように、 学校もまた、時代に併せて変わるもの。

今回のことから我々が得るべき教訓は、思い出は思い出のままにしなければいけないこと。

特定の現実世界の何かと紐付けてはいけないということ。

The Dolls without Rebelliousness

やはりガガ様は良い。

色々と問題な面も多く報道されるガガ様だけど、個人的にガガ様が好きな理由は、生まれは裕福であり、一流の教育を受けた、いわば「勝ち組」の層に属する人間なのであるが、人間の闇の部分をよく知っていること。そして、その闇に光を当てる事を決して躊躇しないこと。この二点に尽きると思う。

そんな事はさておき。

実は、私は最近、高校生の面倒を見ている。 まぁ、大学生になった子も居るから、ハイティーンあたりの面倒を見ている。というのが正しいか。

私よりも12歳くらい年上の先輩達は、「キミは(コミュ障なのに)高校生に溶け込むのが上手い」と、ある種不思議がって見ている。

答えは単純で、彼らの抱える闇を私が見ていて、そこに光を当てているからだ。けれど、多くの大人。あるいはハイティーンたちには、その闇が見えない。当たり前である。本来不可視の物なのだから。

さて、皆様々な闇を抱えながら生きているのであるが、 1つ思うことがある。

それは親との関係。

まぁ私自身25にもなってまだ決別出来ていないのだから、15〜19のハイティーンたちにとってはもっと、しんどいものがあるんだと思う。

反抗期が来ない。反抗期が来れないのである。

第一次性徴、第二次性徴、体の発達と並んで心の発達も非常に重要なこの時期に、「反抗期が来ない」というのは、心がいつまでたっても成長しないということ。

本来は、自立のために必要な、親に向かっていくはずのエネルギーはどこへ向くかというと、例えば教師。例えばクラスメイト。例えば社会そのものに。そして最悪な場合、自分自身へと向かっていく。(自分自身へ向かった場合自殺に直結する。非常に危険

だが、あくまでそれらは他人。本来なら有効な関係を築く練習台なのに。しかも相手はレスポンスを返さない。暖簾に腕押し。

自分の居場所を更に失い社会から孤立していく。悪循環。

じゃぁ、なんで、親に反抗できないんだろうか。

よくよく耳を傾けると、彼らは幼いころの反抗期。すなわち「第一次性徴」にもコケている事。そして、非常に真面目で子ども想いな両親が多いということ。

子どもに痛い目にあってほしくない。将来食いっぱぐれがないように。などなど。みな、子ども想いで子ども重いなのだ。

「自分のために」親が行動しているのを知っているので、子どもは親に反抗できない。冷静な理性が本来の成長を止めてしまう。

でも気がついて。

あなた達は人形扱いされているだけなのですよ。

あなた達が死んだら、それはそれは深く両親が悲しむことでしょう。けどそれは、多分、大事な子どもが殺されたからではなく、大事な人形が壊れたから悲しんでいるのですよ。