The doll with a micro mind.
正直上手くまとめられるか自信がない。でも、これを文書にして書き残さなければならないと、いけない気がしたから書き残します。
結論を先に書く。
私は人間ではなかった。
もしかしたらって思い悩むことは何度もあった。何度も自殺を考えた。何度も何度も。いつの間にか、口癖が死にたいになっていた。
冷静に考えたらおかしい状態なのは、誰にでも分かるはずだ。5分に一回くらい「死にたい」って発言してるなんて。
理性に余裕があるときは、声に出さずに押し殺したり、小声で言ってるが、一人だったり、疲れてて油断してたりすると、はっきりと周囲のひとに聞こえる声で「死にたい」と言っているのである。
さて、人間では無い私は一体何なのか。
神様にだったらいいなーと思っていたがそんなわけ無い。
私は、母の人形で、父のペットだったのである。
結論を得る過程で、わかったことがある。
自分とは、今まで生きてきた過去と、自分が向いている未来である。
つまり、自分が生きてきた過去を否定し、未来への希望を失った途端、人間は自我を失い、もろく崩れ去ってしまうのだ。
私は自分の事を人間だと思っていた。しかし、私は人間ではなかった。過去も未来も無い、ただのモノだった。
薄々気がついていた。認めたくなかったのだ。
自分がマザコンであり、ファザコンであり、バイであり、精神障害者だと言うことを。
「失った自分」なんてなかった。最初から自分なんてなかったのである。
私は、多分、異様で異常なほど、教育という分野へ執着心を持っている。 ずっとまえから自覚している。
だからこそ、私のような人間は教育事業に関わるべきではないと思っているのだが、どうしても粘着してしまう。手を出さずにはいられない。
その異様なまでの執着心がどこから来ているのかわからなかったのだが、ようやく発見できたのである。
それは、ほんの生まれて間もなかった頃の私が、人形として、ペットとして生きていくしかなかった私が、 無意識のうちに心の奥底に押し込めていた、本当の私のココロなんだと。
人間として生きていきたい。自分の心で、意志で、生きていきたいと願う、 未熟なココロの私が、私という人形を動かしていたのだった。
躰は25歳なのだが、ココロは0歳児とか、ひどい話だなー。と自分に対して思う。
人間としての生き辛さの正体は、従順な人形になることと、猫のような気まぐれな態度をとることしか、人との関わり方を知らないから。
自殺願望の正体は、作られた私を破壊して、人間として生きたいという、幼い幼い私の本能からだった。
すべてに納得が行った。すべてを受け入れた。
自分は、重度のマザコンであり、重度のファザコンであり、バイであり、精神異常者だと言うことを。
他にいい言葉がないからバイって言葉を借りるけど、厳密に定義するならば、ココロが未熟なので、「未分化」の状態だと思ってる。 躰は100%男だけど、ココロはどっちかわからない。
教育を受けたい。ってずっと思ってる。おかしい。
大学まで一応卒業しているはずなのだが、ずっと「教育を受けたい」って言ってるの、おかしくない?
さて、どんな教育を受ければ良いんだろうか。学校に行けば良いんだろうか。
人間になりたい