May in the dark

生きるのに困ったら

大企業に入ってとりあえず3年たつやつのボヤキ

 

とある大企業に新卒で入社してそろそろ3年経過します。
所謂「3日でやめるか、三ヶ月でやめるか、三年でやめるか」と言われる三年がもうすぐくるのです。


三年近く大企業という組織に居た振り返り(主にバッドプラクティス)を書きます。

 

# 学生時代考えてたこと

まず、学生時代にまで話を遡ると、当時は本当に何も日本社会を理解して無く、わりと夢と希望だけで生きてた若者でした。

まだ女にも興味があったし、野心もあった。
海外に飛び出したいとか、結婚したいとか、大学院に行きたいとか、色々な夢はあったのだけど、様々な制約を考えると、それらを捨てることになります。

当時の彼女に「あなたには夢がない」と言われるくらいには、その時から多分精神的に枯れてたんじゃないかな。笑

※ ↑は少し意地悪な書き方で、「あなたには夢がない(けど、もう少し未来を夢見て生きても良いんじゃない?)」が正しい。ごめん。

で、様々な制約とは

- お金
- 能力
- 自信

の3つで、特にお金がかなりボトルネックでした。

「大学までは出す。けどその先は知らん」と言われて育ってきたし、私もそれを当たり前だと思ってましたし、何より両親の状況を見て、これ以上お金の援助をお願いするのは無理だと思ってました。

(大学も、特待で学費の大半を免除してもらってなかったら行ってなかった

ので、大学院に行くとか、海外に留学するとか、そういう「お金のかかる事」をやるのは普通の方法では無理だと思ってたし、「普通じゃない方法」が当時の私には見つからなかったので、これは選択肢から外れました。


ので、夢とか希望とかクソもなく「就職するか」というのが現実でした。

 

追記:

絶対指摘されると思ったので書いておくと、「お金」のせいにした「お前の逃げ」じゃないのか?と思うかもしれない。答えはYesで、そのとおりだと思ってる。けど、それは勝てない勝負だから降りたと思ってもらう認識のほうが正しいと思う。

 

より正確には、お金という問題を、未来の私が解決できる自信がなかった。借りるにせよ、更に両親のスネをかじるにせよ、その責任を果たしきれる自信がなかった。

 

 


で、当時持ってた内定先の中で、一番給料が良くて待遇がいいところ。で今の企業に入りました。

ベンチャー企業というカードも手札にあったのですが、「とにかく両親を安心・納得させる」という裏ミッションもあったので、大企業のカードを切りました。

後から考えるとこの判断は私にとっては大正解だったと思っています。

 

 

# 入社してから休職まで

半年で私は精神的に壊れ、「希死念慮」の名目で「措置入院」を突き付けられ隔離病棟にぶち込まれることになります。

原因は、はっきり分かっていますが、まだ多くは書けません。
(最初は書いてたんだけどね。明文化するとアレコレややこしい時代になったから

とにもかくにも、様々な事故が重なり、私はまともに人間の言葉を話せない状態になりました。
(大げさに聞こえると思うけどこれは本当の話で、人間精神を壊すと、twitter 上で「あーまじで死にたいわー」すら言えない。「ああ・・・・ああああうあああ」とかいううめき声しか出なくなる。

 

# 休職 - 措置入院から退院まで

記録に残ってる休職開始日と、記憶に残っている日が約一ヶ月くらい間が有るので、その間に(あんまり覚えてないけど)色々な事があったんだと思います。


とりあえず、本当に動けなくなった私は、会社から両親へ「○○さんが出社しない。連絡も取れない」と通告が行ったそうで、両親が慌てて私の自宅を訪れ、(後から両親から聞くには、私は明らかに目線が明後日の方を向いており、動物のように他者への警戒心をむき出しにしていたそうです)私をなんとか実家に連れ帰ります。

 

 

 

この先1光年

 

 

 


さて、実家に帰って、一通り騒ぎ、暴れ終わった後、私もある程度正気に戻ります。

この、正気に戻るという、たった数分の間に、記憶の無い一ヶ月を一瞬で追体験しているみたいで、人生で二番目に苦しいフェーズだった。

それまでの私の行動原理は、「怒り」でした。
こうしたらもっと良くなるのに!(なんでやらない。できないんだこのやろー!
という怒りを世の中にも、そして自分にもぶつける。「あれ、これおかしいぞ?」と思ったら、猪突猛進で切りつけかかる。


そんな生き方をしていたのですが、自分の行動のエネルギー元になっていた、「怒り」が消えていく。すーーっと消えて、深い深い諦めに変わっていく。

あぁ
どうせ
なにをやっても


そんな言葉に、自分の心が全てが置き換わっていく。

「お前は」
「どうせ」
「なにをやっても」
「失敗する」
「だからダメだ」
「お前の同期は、今も出社しているぞ」
「お前の友達は、堂々と生きているぞ」
「お前はダメだ」
「お前は屑だ」
「やっぱり俺は社会不適合者だったのか」
「そうだよあく死ねよ(淫夢厨」

このかぎかっこ付きの文章全部。1秒で読み切れますか。無理ですよね。
でも、脳内ならそれが出来るんです。そしてそれが、自動的に、延々とループされる。


「あと人生50年以上あるらしいんだけど…」


実家へ帰宅した翌日。
両親に連れて行かれ、サナトリウム という所に行きます。
サナトリウム??」と思ったのですが、日本語に直すと、長期療養所で、私が行った所は、精神を壊した人以外にも、認知症などの方がいらっしゃいました。

 

とにもかくにも、ここで、私は医者に「措置入院」という紙を叩きつけられます。
これを見た瞬間、最後の理性が全て働き、「このままおとなしく措置入院したら、きっと一生出れない」
と考え、医者・両親・その他のスキを見て、全速力て走って逃げることにしました。

後から考えれば、「このままおとなしく措置入院したら、きっと一生出れない」というのは、半分間違いだったのですが、とにかく、その時の私の「逃げる」という判断は正解でした。

25kmは走りました。(マジです)

なんせ措置入院というカードを叩きつけられているんだから、すぐに警察が動くと思ったので(実際には動かなかったけど)足がつきそうな交通機関を使わず移動することを決めたまでは良かったのですが、

なんと財布がない。

しまった、普段のバッグにしまったままだった。

 

この時初めて、SUICA の残額数百円じゃ何も出来ないことに気が付きます。

幸か不幸か、その時点での最寄駅から実家に帰るまでの交通費分はチャージされており、

「これはあれだな」
「素直に措置入院しろってことだな」
「いいや。どうせもう俺の人生終わったんだ」
「あと50年、隔離病棟ぐらしか」
「何をして過ごそうかな」

と、良くも悪くも全てを諦め受け入れ、実家に戻り、翌日改めてサナトリウムを訪問し、措置入院を受け入れる旨を伝え、隔離病棟に入院することになりました。

 

サナトリウムは病棟が2つに分かれており、所謂普通の病棟と、全ての窓・ドアが二重になってロックも二重になってる四重結界の隔離病棟があり、当然後者に入ることになります。


そこに入ってる人は、明らかに認知症だったり、明らかに強迫性だったり、明らかに境界例だったりするのですが、私もその仲間入りを見事果たしました。

私は前向きでした。
50年間死ぬまで隔離病棟で何して過ごそうかな〜。
って本気で考えていました。

病室に持ち込むものは著しく制限されたのですが、学習参考書は問題なかったので
(学校でのいじめなどで心を壊し、病棟で勉強している子が居たため)
英語の文法書を一冊買ってきてもらい、英語の勉強を熱心にはじめました。

他にすることも無かったしね。電子機器は一切ダメで、外部と連絡を取る手段も無かったので。

その時の私は、本当に全てを諦めていたので、逆にメンタルは超健康でした。

強いて言えば、毎日引きこもらざるを得なかったので、運動不足を気にしていたくらい。笑

 

 

他の入院患者と比較し、明らかに1人健康的すぎた。

 

追記:

 というか、隔離病棟に居るの、余計に精神衛生上悪いと思う。上述の通り外にでれないし、なにより「閉じ込められてる」「監視されてる」という、自由を著しく制限されている環境下なので、すごい罪人ではないけど、罪人みたいだなって感じながら生きていた。

 

 

一週間後。

 

措置入院は解除されました。
それはそれで面を喰らいました。

医者「会社に復帰してください。問題ないと思います」

いやいやいやいやいや、どう考えても無理やろ。何言うてんねん。

 

 

と素直に反論しました。


結局、正確な診断名は出てませんでした。あのうめき声しか出なかった時の私をどう説明するねん。と。


そして何より、復帰してまたすぐにそんな状態になったらどうするねんと。それこそアウトやん!

 

後々の話だが、今、私の面倒を見てもらっている医者からは
「学会で発表していいですか?」と言われるくらい、私は、既存の心理学の枠組みに収まりきらない男だった。
いやいや、そんなところで、「既存の枠組みに収まらない男。キリッ」とか言われても…。


当時、サナトリウムで私を担当していた医者もそれには頭を抱えており、
「確かに、あなたには○○と××という傾向はある。だが、△△とも言えるし、見方によっては--とも言えるしなぁ……たしかに、健常とは言い難いし……むーん……」


という具合に、「自殺の危険はない」ということで、措置入院は解除されたが、
引き続き実家での、所謂「自宅療養」は続くのであった。

 

 


# 自宅療養から復職まで

実家に居ると、とにかく現実が目の前に迫ってくる。

私は「健康になって」「会社に復帰する」というカードと、「会社を辞めて」「バイトとかを始め」「フリーターになる」という選択肢があった。

大企業に入ってよかったと思う最大のポイントはココで、
労組 / 健保組合がしっかり存在している会社だったので、ある程度の金銭的な支援や復帰支援を受けることが出来た。
実家ぐらしで完全に生活は両親に依存していたが、最低限度生活できるお金を休職期間中、支給される。所謂傷病手当金というやつになる。(もちろん、休職期間には限りがあるが)
このような、傷病者へのサポートが無い会社も多く、なければ前者のカードはそもそも存在しなかった。


まだまだ精神的に不安定で、考えなければならないことも多く、うめき声こそあげなくなった物の、
誰も居ないところでは「死にてー」と無意識でつぶやく頻度は高かった私だが、
どう考えても「会社に復帰する」というカードが有るうちはそれを切るしか無かった。


このカードを切るリスクは1つで、また精神を壊したら今度は本当に廃人になるかもしれないという事。

要は、精神的安定を取るか、社会的な地位を得るか という問題に言い換えられた。
というのも、この国。私が思っていた以上に、公務員や一部上場の大企業の正社員というのは、身分を保証されているからだ。

この身分を失ったら家も借りれない、クレカも作れない、病院にもろくにいけなくなる。
アメリカの黒人差別をよそ事だと思えないくらい、この日本という国は身分社会だ。


そして、一度大企業を辞めると、再びここに帰るには難しい(少なくとも、当時の私の状態では)


ということで、復職を決意する。
しかし、このまま復職したら再び精神を壊すというリスクがあるので、

1. 毎週カウンセリングに通う(追記:診断とは別に通う。これ、保険適応外なので毎週とんでもないべらぼうな額を払わされる。
2. 想定復職日を決める

という2つだけを決め、後は時が満ちるのを待ちました。

なお、当時「新型うつ」とか「休職してるのに旅行行きやがって」とかいう記事をネットで見かけていたので、この期間中は復職するまで一切の他者との通信を絶ちました。

このインターネット社会、「SNSに居ない」というのは「存在しない」と同義なので、
「存在しない」なら何も文句を言われることはない。少なくともTwitter では発言していない。
Twitter の発言に対して揚げ足をとる足がないみたいな。

 

そして時が満ち、復職予定日。まるで何事もなかったかのように復職しました。


# 復職から1年以上経過して

復職してからの会社での出来事は書きません。
理由は上述の通り。

以降、精神的にはギリギリの状態を保ちながら低空飛行を続け、今もなお同じ会社に努めています。

 

とにかく、色々あったけど、最終的には、比較的、精神的に穏やかな環境に置かれることになり、いまに至ってます。


復職後の私にとにかく言えることは、本当に丸くなった。悪い意味で。
わりと色々な事に達観し始め、

「なるほど、ここはこういう理論で動いているのか」
それの良し悪しは問わず、その理論に、ただ従うのみ。

 

何も考えない。何も感じない。人形のように生きる。 Doll's Life.
それが最適解の生き方になりました。

 

一方で、とにかく犬になり、偉い人、年次の上の人に媚びを売り続けてます。

人形なんだか犬なんだか……。

 

理由としては、平社員には周知されない裏事情を少しでも把握して立ち回りを良くすること。政治ニアと揶揄される生き方してます。幸い、内部事情に非常に詳しい方と一緒に仕事をすることになったので、その点は非常に助かってます。価値観とかも合ってたし。感謝してもしきれん。

 

また、取り扱ってる商品の関係上、ネット上での行動は、私個人や会社へのとんでもない打撃を与えかねず、結局引き続きSNSからは身を隠すことにしました。

 

とにかく、私は、徹底した「リスク回避主義」になってしまい、あー典型的な日本人だなーと、こじんまり落ち着くことになりました。

 

見知らぬ女性と合うのすら怖いもん。

悪くいうと、人間不信が悪化してる。笑

 

# まとめ:これを読んでどう思ったかはわからないけど

私が学生の時、所謂意識高い学生向けに、「大企業に長く居ると、転職市場で価値が下がる(だから若いうちに起業したりベンチャーに入って苦労を積め」という風潮がありました。

これは強者や運がいい人の理論です。

人間いつ事故にあったり病気になったりするかわかりませんが、そういうリスクが少なからずあります。
自分が弱者に回ってしまった際に、それをカバーしてくれるセーフティーネットが、あってよかった。

大企業に入って、思う所はたくさんあります。旧来の古いやり方や価値観に囚われてるし、確かにこのまま居ると、腐るなって思ってます。思ってますが、上記のセーフティーネットに守られているというメリットが、デメリットを上回った。

 

私の場合はね。それだけの話です。

 

よく、親しい友人たちから「転職してうちのベンチャーで一緒に働こうよ」と誘われます。
これは本当にありがたい話だと思っているのですが、上記の理由で、副業としてのジョインはしてたりしますが、正社員としてはジョインしません。まだ。


でも、1つ、私は決定的に詰んでるポイントがあり、
早くなんとかしないと滅ぶなって思ってます。


それは、色々な事を諦めてしまうクセが(元々あったけど、更に酷いクセが)ついてしまった事。
将来自分はどうしていきたいか、どうやって生きていきたいか。みたいな展望がまるで無い。

 

人生残り全部余生!あと50年もある。って本気で思ってる。


ので、なんでも良いんだけど、
「自分はこうなりたいなー」っていう展望だけは持っておいたほうが良い。夢は一度見失うと二度と見つからないから、掴んだ夢は離さないで。大丈夫。いい女(男)やいい会社は、世の中5万くらいあるから。


大企業に入った最大の失敗は、夢を見失ったこと。自分の力で生きる意志を失ったこと。両親のスネをかじった後は、会社様におんぶにだっこ。それってすごくダサくない?でもそれを受け入れないと、いまの私は生きていけない。


単純に年を取ったのか、新しいことに挑戦する気力やモチベーションがわかなくなりつつある。


じゃぁなんでこんなまとめを書いているんだろうか?

 

 

それは、多分、私がまだ生きているからだと思う。人間として。