May in the dark

生きるのに困ったら

子どもが死にたいって言い出したら。ましてや本当に実行してしまったら、あなたはもうその子の親じゃありません。

批判と非難を恐れずに先に私の結論を書く。


いかなる理由であれ、子ども(定義が曖昧なのでここでは成人前、二十歳未満とする)が自殺したら、例えどんな事件や理由があろうとも、それはもう完全に親の責任で、親失格だ。その子の親を名乗る権利は無い。


子どもが死にたいって言い出したら。
生きているから、まだ挽回のチャンスはある。 絶対になんとかしなければならない。

 


なぜ子どもは自殺を考えるのか。


例えば勉強や受験。

私が高2の頃、志望校に受からず、自ら命を断った先輩が居た。尊敬する聡明な先輩だった。


確かに、受験戦争は深刻な問題だった。今の高校生事情はあまり良くわからないけれど、当時は表面上の受験戦争ピークの時期だったと思う。(顕在化してないだけで今のほうが実はやばいんじゃないの?という話もあるがそれはさておき……)

就職氷河期で、いい大学に入れなければいい会社に就職できず苦労することになる。と考えてる親はたくさんいたし、当時の情勢から考えるとそれは、そんなに間違ったことじゃなかった。

 

でも、たったそれだけのことで自殺するだろうか?
あえて「たった」と書いたけれど、高校受験と違って大学受験は潰しが効く。浪人すれば、二回目の挑戦権を得ることが出来る。そして、東大や京大に行く人達からすれば、浪人なんて、そんなに珍しい話でもない。

自殺した私の先輩は現役生だった。まだまだ伸びしろはあったと思うし、浪人したら東大に行ける実力だってあったと思う。(これは私だけでなく、先輩の友人も言っている)

でも彼は自ら命を絶った。丁寧に遺書まで残して。

 

 

なぜ子どもは自殺を考えるのか。


例えば恋愛。

 

私は男なので、女の子視点の事はよくわからないが、好きな人にフラれて死にたいとつぶやいていた知り合いがいた。中3くらいだったと思う。高1だったかも。

確かにフラれたら誰だって落ち込むし、あの子無しの世界なんて、この世に意味はないーーー くらいに思うかもしれない。

でも、大勢は立ち直り、次の恋をするのだが、彼は違った。なかなか立ち直らなかった。そんなに失うのが惜しいほどの可愛い子なのかなーと思って写メってもらったが、「それほどのものかなー?」と首をかしげた。
(今はないけど、当時は写メ文化だった。携帯で写真を取ってメールを送ることが、画期的だった時代もあった)
(学校の違う知り合いだったし、合う頻度も少なかった)


幸いにも未遂に終わったが、結局彼は失恋を理由に、自殺を敢行するのだった。

 

 


なぜ子どもは自殺を考えるのか。

 

例えばいじめ。

 

確かに、学校でのいじめが深刻な問題なのは疑う余地もない。
いじめにあった子は、学校での居場所を失い、不登校になったりするだろう。


でも、それだけで自殺を考えるだろうか?
冷静になって考えてほしい。いじめにあうのって、悔しくないか?いじめっ子になんとか一矢報いたいと考えないか?
(もちろん、いじめはダメな事だ。肯定するつもりは無い。無いに越したことはない)


でも、いじめを理由に子どもが自殺している。
いじめの領域を遥かに超えた犯罪じみた物もあるが、殺されるんじゃない。自殺を選ぶんだ。


私も小1の後半〜小3の頃までいじめられていた。私も、小3の時は真剣に自殺を考えていた。結局、死の恐怖のほうが勝ったから今日に至るまで生きているのだが……。

 

 

なぜ子どもは自殺を考えるのか。


さて、そろそろ私が何を言いたいか、分かってきてもらえただろうか。

これら3つは子どもの自殺と密接な関係のある事象だが、これらはあくまで「きっかけ」にすぎない。


なぜ子どもは自殺を考えるのか。

自殺を考える時、もうその子には、反撃する気力も、挽回するチャンスも残されていない。それほどまでに、不安定な状態にあるから。

なんでそんなに不安定なのか。それは、一人ぼっちだから。味方が居ないから。そして、「自分はこの世に価値のない人間だ」と考え、自らこの世を去ろうとするから。

 

もう言いたいことは分かってもらえたであろう。
子どもが自殺を考える時、もう頼る存在がどこにも見当たらないのである。

(死別・離婚などその他様々な家庭事情により)親すらも頼れない状況の子どもも存在するが、親に対して甘えることの出来ない、頼れない、信用できない子どもが自殺を検討し、実行にうつす。


子どもを自殺に追い込むのは、勉強でも、恋愛でも、いじめでもない。トドメを刺してるのは、親だ。

 


子どもが死にたいと言い出したら。年齢にもよるが、多分それは子どもにとって最後の賭けだろう。親のことを信じたい、甘えたい、助けてほしい。

 


本当に子どもが大事なら、せいぜい頑張れよ。本当に大事なら。

鬱のサイクル

前回の更新(2016年12月)から約半年(2017年5月)に鬱期がやってきたが、
やはり私は半年サイクルで鬱になるようだ。それを超えれば楽になっているので、もうこれはある種大きな生理現象として諦めるしかなさそうだ。

 

ということで、次は11月に一ヶ月休めるように手続きをしよう。どうすればいいんだー?

人間を1週間で精神的に病ませる方法


極めて簡単で、1日6時間、シャベルを持って穴を掘らせる。
意図はない。あったとしても「ただ掘れ」とだけ伝える。


そしたら、今度は6時間で、掘った穴を埋めろという。
もちろん意図はないし、あったとしても伝えない。


これを7日間繰り返す。
7日でダメなら14日。
14日でダメなら一ヶ月。
それでもダメなら1年間………。

 

 


人間は、必ず壊れてしまう。

 

 

 

 

 


でも、これが、「土を柔らかくして作物を育ちやすくする」
と、意味を与えられたら、少しは長持ちする。


次は、
「理由はわかったけど、じゃぁなんで俺がやらなきゃいけないんだ?」
という疑問が湧いてくるので、それに答える。

 


上と同じようなこと、子どもや、部下や、奥さんや、旦那さんにしてませんか?
「意味」の感じられる、学びや仕事、人間関係。やってますか?

 

黒背景に白字って怖いよね

表題の「黒背景に白字が怖い」っていう感情は、多くの人間の本能に近いレイヤーだと思ってて、多分、何かしらの危険を知らせる信号だったんじゃないかなーって思う。

 

 

私の中では、この色はすごい安心感のある色で、私のことを守ってくれるような、安心感を覚える色なんです。

 

 

たまーーに、個人制作サイトで、「この色センス見辛い」って思うやつがあるけど、同じように、製作者がその色に安心感を感じているんじゃないかなーって思う。

 

 

 

人間の心は木々の年輪のような構造

これ、あまり心理学会でもキレイな解説が無いんだけど、 個としての人の心は地層の構造と極めて似ている。

人の心は、地層だったり、木々の年輪だったり、要するに、幾つもの層が重なって出来ている。

最も中心には、胎児期の心があり、最も表層には現在の自分の心がある。 人間は成長によって、心が変化しているのではなく、過去の自分の心の外側に1層、心を重ねていくのである。

もちろん、外側の層は、内側の層にも影響をあたえるので、徐々に過去の自分が形成した心も変化するんだけど、そんなに大きくは変わらない。 また、ACとか、トラウマとか、所謂心の傷というものは、内側から心が腐っているイメージなので、正直どうしようも出来ない。出来ることは、外側の層を分厚く固めて、内側が腐っても、木が折れないように補強するしか無い。

さて、コレだけなら、幼少期に心の形成にコケたら終わりで希望がないのだけど、一つだけ希望を提示したい。 それは、社会心理。

木で例えると、根を張っている大地に相当するのかな。 私達人間は、社会的な生き物なので、社会からも影響を受けている。それは、自分が所属しているコミュニティだったり、その時代の空気だったり。また、人間は植物と違って動くことが出来るので、自分が所属するコミュニティをある程度選択することが出来る。

木々が地面から水や養分を吸い上げるように、我々も社会から影響を受けている。 周囲のコミュニティが良ければ、内側から自分の心を癒やすことが出来るかもしれない。

もし、あなたが、限界を感じるなら、住む社会を変えてみて。 何度、変えてもいいと思う。幼い頃に積み重ねた心を癒やすかもしれないよ!

滅びゆく故郷、色あせていく情景、廃れていく社会、そして


私は大阪出身なのですが、外国人に故郷を説明する時は、「京都出身だよ」的な感じで、エセ京都人をしてます。

というのも、外国人に伝わる日本の地名って、「Kyoto」「Tokyo」「Fukushima」「Mt.Fuji」くらいしか無くて、(福島が入ってるのが辛いところですが)、わかりやすさ重視ということで「京都の近く」って答えてます。間違いじゃない。余談ですが、奈良は京都の一部だと思われてます。

 

私は今、東京に住んでます。
何があっても、絶対に故郷には戻らないと決めています。
(もちろん、お正月やお盆休みなどの帰省はしますけど、ここで言う「戻る」とは、住む(大阪府民に戻る)という意味です)

 

故郷に戻らない理由は、色々ありますが、以下の3つが大きいかなって思います。

1. 小中高大と、それぞれのフェーズで仲良かった友人がほぼ全員東京に住んでいる。

2. 少しでも両親の影響範囲から遠ざかりたい

3. 滅びゆく街、色あせていく故郷を見るのが辛い。

 

1 に関しては多分特殊な事情で、本当に仲良かった友人はほぼみんな東京に居るのです。なので、むしろ地元に帰ったほうが友人が居ない。笑

 

2 に関しては、まぁこのブログに書いてあるとおり。

 

3 に関して。

例えば、昔良く遊んだ森が伐採されてデパートになった!とかなら、たしかに寂しさはありますが、街は変化している。と感じるのですが、違うのです。

 

昔遊んだ公演が昔のまま、しかし整備はされていないから、ボロボロに。

昔よく行ったデパートが、シャッター街に。

昔通っていた学校が、20年前の姿のまま(しかし風化してボロボロに)

 

そう、徐々に廃れているのです。街が死に向かっているのです。同時に、街中で見かける人も、ほとんど老人になってしまいました。その中に居るだけで、自分の精神年齢が50も60も老けてしまう。まるで自分自身もジジババになったような、そんな世界がそこにある。

 

要するに、地元に帰るたびに、すごい勢いで鬱になるのです。

だから、私は戻れない。

 

 

 

 

ここまで故郷ディスをしたけど、じゃあ東京はどうなんだ???

と言われると、同じなんだよなー。。。

 

というか、もっと酷いと思っていて、未だに昭和懐古のお店が大量に蔓延っている。人口が多い分、8年後(東京オリンピックが終わった後の2025年くらい)は、もっと滅びているし、色あせているし、廃れた社会が迫っている。

 

じゃぁインターネットは??

それよりももっと酷い。まだ君ら私と同じ20代でしょ?というような人達が懐古厨になっている。未来に希望が持てないから、過去にすがるしか無い。そんな現実を突きつけてくる。

 

過去を捨て、未来を持てない私は、刹那的にしか生きることが出来ない。

そんな状態で、良いのだろうか

 

自殺を考えたことはあるか?

基本的にこのブログは、訪問者が居ない前提で書いてる。

こんなタイトルで記事を書いて、このブログに辿り着く人は間違いなく自殺を検討してる人(あるいはしたことがある)か、周囲に危ない人がいるかのどちらかだと思う。

そんなメタ的な話はさておき、自分の実体験を語ると生まれて始めて自殺を検討したのは小3の時だ。

だから、「小学生で自殺って考えられない」なんていう大人を見てると「こいつらほんと脳天気に生きてきたバカなんだな」って思う。

私で小3なんだから、もっと早い人は小1とか、もしかしたら小学校以前かもしれない。

私の両親は、「突然お前は死ぬのが怖いと言い出したが、ちょうどその頃は、ニュースで池田小事件が報道されており、年の近い子どもが何人も殺されたという事件は、子どもにとって相当ショックだったんだろう。って思った」 と後になって語っているが、それはとんだ見当違いである。

私は当時、本気で自殺を検討していた。この世から消えたいと思っていた。理由は色々あるが、そのうちの1つに「いじめ」が有るのは間違いなかった。

この時、私は真剣に「死」とは何か、調べ、考えた。それ以前の私は死についてあんまり分かっていなくて、「人間は死んだら姿が見えなくなって幽霊になるんだーー」って真剣に思ってた。実に小学生らしい発想で良い。

が、この時を境目に死について完全に理解した。理解したから死について、本気で恐怖したのだと思う。

でも、私にはこの自殺という以外に他の選択肢が発見できなかった。だから、ずっと恐怖し、ずっと葛藤した。

…………

さて、じゃぁなぜ自殺を考えたのかという話に戻るが、

「自分はこの世に居ないほうが良い。自分はこの世に生まれてくるべきではなかった」

という考えが、小3のときの自分には既に芽生えていたからだと思う。私のようなダメな子どもを持って両親はさぞ苦労したんだろう。私が出来ていなければ、両親はもっと幸せだったんだろう。

という考えが根本にあったからだと思う。

まぁ、今となっては馬鹿馬鹿しい話だと思えるが、当時は本気でそう思っていた。

次に考えたのが、どうやって死ぬのか。 高所恐怖症の私には、飛び降りは無理だと思った。(最も手っ取り早くて楽なのは確かなのだが)

何処かに放浪して飢え死ぬか凍え死ぬか。いやー絶対警察に見つかるよなー。水死は嫌だしなー。ってなって、結局切腹が一番いいんじゃないかってことで、台所で包丁をあさっていると………。

母が帰ってきた。

私は慌てて台所をさり、トイレに居たことにして、 笑顔で母を出迎えた。

…………

今にして思えば、その時から私は人形になったのだと思う。

多分私よりも頭の良い賢い子は、もっと早くに自殺を考えていたんだろうなって、思う。 幼稚園児でも、自殺を考えるケースはあるぞ。実行に移す可能性もあるぞ。