May in the dark

生きるのに困ったら

たった一つの物語が共感性の暴力を生む

人間が持つ能力の一つに、共感というものがある。

 

言われてみると不思議な能力で、自分が直接経験したわけでもない事を、あたかも自分が経験したかのように他人の経験を感じ取ることができるという不思議な能力。

 

色々な論文によると一般的には女性のほうがこの共感能力が高いらしい。

 

この共感という能力、非常に暴力的な能力でもある。

 

強制的に他者に一つの物語を植え付ける事ができ、同じ物語を共有しないものを徹底的に排除する機能を持つからである。

 

そう、宗教と一緒だ。

 

前回、前々回の記事で、私は、ほとんどの人間は無であると書いたが、他の個体から何らかの物語が共有されるのを待っている、パッシブモードみたいな物だと考えることができる。

 

じゃぁ、発信源はどこなのか?

 

人類には、明らかに、その物語の発信源となる個体が存在する。カリスマとかインフルエンサーとでも言うべきか。

時代が違えば、英雄や救世主などと呼ばれたかもしれない。

 

 

一つの個体が物語を生み出し、それを共有することで人類は文明をここまで大きくしてきた。

 

 

たった一つの物語が、共感性の暴力を生む。

 

百年国恥

 

これは中国のスローガンみたいなもので、西欧欧米や日本に占領され植民地支配されてきた時代の屈辱を忘れるな。と言う物。これを言い出したのは誰かわからないけど、少なくとも毛沢東の時代にはあったと思う。

 

たった一つの物語が今、世界を脅かしまくってる。

 

ロシアの事は詳しくないから分らない。プーチンが失脚すれば戦争が終わるとか言う人が居るけど、そんなことは絶対にありえない。なぜなら、ロシアのナショナリズムは、プーチンだけの野望ではなく、共有された一つの物語だからだ。必ずそれを引き継ぐ何かが現れる。むしろ、強大なカリスマを失う事で、暴走して取り返しがつかない可能性のほうが高いと思っている。

 

 

そもそもとして、歴史を振り返ってみると、一つの物語に過ぎないキリスト教がヨーロッパを蹂躙しつくしたし、一つの物語を共有しあえなかったアフリカは今も民族紛争が絶えない。

 

 

たった一つの物語が、共感性の暴力を生む。

しかし、その暴力によって平和が作られている。

 

 

私たちには、新しい物語が必要だ。

誰かが書いた筋書きなんて、ただの幻想にすぎない。

 

 

面白いシナリオが描けたら、そこが自分だけの現実の始まりだ。