May in the dark

生きるのに困ったら

この世には何も無い。あるとすれば、それは自分だけの現実

そもそもとして、この世が何かに満ちていると考えるところからスタートするのが間違っている。

 

この世はそもそも無なのだ。いや、水も空気も宇宙も存在するだろうって思うかもしれない。「そう認識する自分が存在する」この一つだけがこの世の真実であり、それ以外は全て、自分の認識が生み出した幻想にすぎない。

 

だから、自分の認識だけが世界を変えられる。過去さえも変えることができる。

 

 

胡散臭い宗教みたいだな?

 

 

胡散臭い宗教がなぜ胡散臭いかと言うと、教祖(呼び方はどうでもいい。その宗教で一番偉い人)が持っている自分だけの現実を他の誰かに「布教」しているから胡散臭いのだ。

 

自分がどう思おうと、それは信心の自由ってやつよ。

 

 

この世には何も存在しない。

が、そこに何かが有ると認識する自分だけが真実を生み出すことができる。

 

 

まぁ正確には、そうやって生み出され続けてきた真実の数々を土台に、今こうして私と言う真実が存在できているわけだが。

 

 

自分だけの現実をコントロールしだすと、周囲にはこう言われる。

 

「あいつは異常者である」

 

そうだ。それでいい。異常者であることを自覚するところから異常者は始まる。

 

あなたとわたしは違う。それを認識できるあなたは、認知力が高くすぐれた思考力を持っている大人だ。

 

あなたとわたしは違う。それを認知できないのは赤ん坊だけだ。けれど、それを認知できないまま大人になってしまう人間がこの世は大多数らしい。

 

 

ここ2年くらい。権威について考えていた。

権力と言っても良い。人によっては「帝王学」なんて言うかもしれない。

 

どうして貧困弱者ほど、権威とか権力とか、そういう支配者を求めてしまうのか。

それは、彼らが無だからである。弱いからである。何か「強い現実」に支配されてないと、不安で不安で居ても経っても居られないのである。

 

「あなたは強すぎる。私はそんなに強くない」

と、妻と不仲になる前に言われた言葉である。

 

私は、いやいや、物理的にも精神的にも私は弱いと思っていたので、「何を言っているんだこいつは」と思ったのだがそうではない。

 

何かに支配されなくても平気。自分の価値基準で世界を渡り歩いていける人。そんな人に支配されたかった。と言ったのだ(と、今になって理解した)

 

私は、何かを支配するとか、押し付けるとか、そんな物は何一つ求めてなかった。価値基準が違う事を認め合って、共に世界を渡り歩く意思が欲しかった。隷属なんて求めてない。

 

けれど彼女は違ったのだ。支配してほしかった。だから、自分の現実を教えてほしいなんて言われた日には、どうしていいか、何が自分の現実かもわからず、その時インターネットで流行っていたインフルエンサーの胡散臭い情報商材に手を出してしまった。

 

「将来100万円する変な壺とか買いそうだから気をつけろ」って言っていたのだが、その翌月に水素水の出るウォーターサーバーのチラシを持ってきたのだから、救いようがない。

 

 

 

 

自分だけの現実を持つことができる人間は、おそらく少ない。

 

勉強ができるとか、自頭がいいとか、顔がいいとか、そんな事は関係ない。IQが高くても自分だけの現実を持てないやつらが、オウムに入信してコスモクリーナーを作り出した。

 

 

ワンピースの世界だったら覇王色の覇気とか名付けられるんだろうか。

 

 

自分だけの現実が世界を支配できる。

強力で強大な自分だけの現実。

 

それを、この闇の中で育て上げるのだ