この世に私の望む幸せなんてどこにもない
人間と関わることを辞めて、早くも半年が経過した。
と言っても、最低限生命体として存続するためにスーパーにご飯は買いに行かなきゃいけないし、Youtube で過去の動画を漁ったりもする。
完全に人間と関わることを辞める事なんて、出来ないのである。それこそ死ぬしかない。
いやそもそも、死んでも人間と関わることを辞める事なんて、出来ないのである。死んで1000年も経つのに、突然英霊として現代に召喚されたりするらしいからな。
さておき。
2018年から2022年までの約五年間、私は本当に何を頑張ってきたのだろうか?
色々な事があった。
世界は、疫病だの、戦争だの、物価高騰だの、AIがヤバいだの、とにかく騒がしかった。
人生のスパンで考えると5年って長いなって思ったけど、冷静に考えるとたった5年か。とも思う。
そんな世界の変化なんて知ったこっちゃない。
まず、妻とは離婚した。
私の友人はみな私の肩を持ってくれた。いや、そんなのお前の元嫁のほうがおかしいだろと。私もそう思う。勿論、男性だけでなく、女性もみな私の肩を持ってくれた。
だけど待ってほしい。そもそも冷静に考えて、そんなおかしい女と結婚した私がおかしかったのではないか?
深く反省した私は、次は同じ失敗はしないだろう。
そう思って次の結婚相手を探したが、どうやら疑り深くなってしまったのか、客観的にみると女性不振に陥ったようだ。まぁ自覚はあったし、それを何とかするのがお前たち、認知行動療法を担当する医者の仕事じゃないのか?
医者曰く、自分を客観視する能力が高すぎるとの事。自分よりも認知能力の優れた患者の面倒は見切れないらしい。いやいやいやいや。認知行動療法とは???
以前、はてダか、ヤフー質問箱だかに、こんな事が書いてあった。
「所詮自分の脳内の出来事は、一連の化学物質の反応プロセスの一介に過ぎないというのに、人間は生きている意味なんてあるのですか?」
この質問の本当の答えは、「そんなものは無い」である。しかし、正直にそう答えると、この質問を書いた人は自ら命を絶つだろう。
だからみんな、家族が悲しむとか、自分が楽しいと思う事を探せばいいとか、頓珍漢で的外れな事を言って納得させようとする。
しかしそれで納得できないからこの人は苦しんでいるんだろう?なぜそれが分からないのか。分からない事が分からない。つまり、治療対象の認知力思考力が高すぎて、周囲が助ける事の出来ないタイプだったのだ。
という先行事例を発見したので、そこに関してはもう諦めた。
次に、仕事を辞めた。
というか、何もやる気が出なくなっって、気が付いたら辞めていた。
まぁ、そこに関しては、いずれ表のブログで書こうと思うから深くは書かない。
自分が納得できない事に加担すべきではない。とは前々からずっと思っていた。自分が呑み込めていないのに、無理やり進めると、心身が乖離して身動きが取れなくなる(=いわゆる、うつ病になる)という事はよくよくわかっていたつもりだった。
しかし、「そうはいってもこの場面では仕方ない」と無理やり納得して進まざるを得なかったところもある。
そうやっているうちに、気が付いたら、心身が崩壊していた。
いや、今回は結構やばかったと思う。なんせ体が終わっていたから、下手すれば本当に死んでいたかもしれない。いや、今も、未発見のガンが潜んでいるんじゃないかと思っているくらいには結構やばい。
医者曰くそんな物は見つからないというが、もし見つかって「手遅れ」だとでも言われた日には、あらゆる手段でその医者が二度と医者を出来ないようにしようと思う。これも人類のためである
さて、そうやって、「あーこの世に自分の望む幸せなんてどこにもないな」と気が付き、頑張ること、努力することを全て辞めた。
そもそも、幸せの定義が間違っていたのである。
幸せなんてものはそもそもこの世に存在しない。
あるとすれば、それは、「金と健康」ただこれだけである。
特に大病もせず、飯食って寝てセックスできればそれでいいんじゃ無いか?
マズローだのメンデルスゾーンだの、色々と精神構造に関する話はあるけれど、結局のところ、人間の諸欲望は、三大欲求を効率よく満たすための、補助欲でしかない(上手い事言った)。
誰かに認められたいとか、社会的な保証が欲しいとか、誰かと結婚して幸せな家庭を築きたいとか。それらは全て三大欲求を満たすための補助欲でしかなくて、人間はその補助欲を発達させることで、高度な文明と社会を築いてきたのである。
そう思うと人類ってスゲーな。
そもそもとして、私は根本的な三大欲求すら薄い。三日くらい飯食わなくても平気だし、睡眠リズムも完全にぶっ壊れているし、性欲も最近怪しい。かわいい女の子を見ても、「かわいいな」とは思うけど、それは子猫を見て可愛いなと思うのと何も変わらない。
そんなわけで、私の生きるモチベーションは「自分が納得する事」になった。ずいぶんハードルが下がったな。だって自分が納得すればいいんだから。
それすらも間違いだった。
そもそも、この世に「自分が納得できること」なんてほとんどないのである。
インターネットの発達によって、誰もが知識を共有できる世界は、人類の悲願だったんじゃないのか?
2023年。その悲願はだいたい達成されていると思う。人類すごくね??30年前はインターネットなんての、オタクの中のオタクしか知らない世界だったのに。たった30年でここまでの事を成し遂げた人類すごくね?
その結果、偉人や天才や賢者と言った、優れた人間はほんの僅かで、ほとんど大半の人類はアホであるという事実を改めて突き付けられたのである。
何回目やねんこの流れ。100年ぶりN回目。
人類のあまりのアホさを前に、「自分が納得できること」なんてほとんどない。と言うより、減ったと思う。これは私が老いて、「昔のほうが良かった」という病に陥っているのか? その側面もあるとは思うが、にしても、納得できない事が増えまくった気がする。
そして至った境地が今、無である。
無
以前、私は、最も恐るべきものは、「うつ病」でも「躁状態」でもなくて、そのどちらでもない完全なフラットな状態、つまり「無」であると説いた。
これは、真理を突いていると思っていて、実際、「どんな医者の言葉も納得できなかったけど、うつ病もエネルギーの向き先が内向きなだけで、まだ希望があるんですね」と、言った趣旨のコメントをもらったこともある。
今の私は無である。
エネルギーが無いのである。
0は方向を変えても0だからね。動きようがないね。
0を動かすには、外部からエネルギーを突っ込むしかないけど、もう外部から突っ込まれるエネルギーは全部断ち切ったからね。
とにかく、人間とかかわりたくなかった。
最も大事にすべき人間関係。家族、親友、同僚。
それらにことごとくボロボロにされてきて、これ以上、人間の何を信じろというのか?
そして、捨てた妻に言われた言葉を思い出すのである。
「それが普通の人間では?」
えっ、みんな、そんな虚無を生きているのか?
でも、確かに、そう考えたら辻褄が合う。
だから、みんな毎日何も考えずに、つまらないソシャゲに無意味に金を突っ込んで、ガチャを回して通勤して、上司の悪口を言って、家族は不仲で。
そうか。みんな無だったのか。これが。
「まずは普通に日常生活ができる状態を目指します」とか精神科は言うけどさ。
普通とは無である。
つまり、無に帰す事で、大多数の人間はギリギリ生命体として維持出来てきているのである。
そう思うと、少し希望が湧いてきた。
おそらく、ここにたどり着いたあなたは、無ではない。有である。
無から有は生み出せない。有はいずれ無に帰る。
でも、有から何かを生み出すことはできる。まだ有であるうちに、何かを生み出せる。ここではないどこかへたどり着ける。そう思わないか?
ようこそ、闇の世界へ。
光の当たらないこの心象こそが、次の世界に必要な暗闇じゃないか?
私はもう無に帰してしまって、終わったと思っていたが、突然、この記事を書いたという事は、まだギリギリ無に帰ってはいないみたいだ。
だから、何かが有るうちに、何かを作ろうと思う。
まぁ、時間はかかると思うけど、人生あと50年特にやることもない。気長にやっていくよ