May in the dark

生きるのに困ったら

精神を壊した後の後遺症

あくまで私の場合なんだけど。

 

全部で3つ。

1. 頭が悪くなった。

2. 文章が読めなくなった

3. 人と関わるのが億劫になった

 

それぞれ詳解に書いていく。

 

1. 頭が悪くなった

さらに細かく分解すると、「集中力が落ちた」に全て集約されると思ってて、深い思考ができなくなったり、状況を一瞬で判断できなくなったり、どこかぼーーーっとしている(ように感じるし、他人からも多分そう見えている)ようになった。何かを深く考えることができなくなった。

 

2. 文章が読めなくなった。

これは、自分の精神崩壊度を如実に表してくれるバロメータで、文章が読めない。たった3行が読めない。Twitter すら読めなくなった。今こうやって自分で書いている文章も、見返すことが出来ない。

自分が一日何行本を読めたかで、その日の精神的健康度が分かる(笑)

 

3. 人と関わるのが億劫になった

これは、一番危険だと思っている。他者と関わると、すごく精神的なエネルギーを持っていかれる。人と関わるというのは、非常に高度な知的作業だということを、皆もっと理解した方がいい。相手の顔色を伺い、相手の言葉の裏を読み、相手が求めていることを考え、その場に最適な解を言葉や態度に示す。というのは、もう私には出来ない。

 

結論から言うと、うつ病になると、思考力が極端に落ちる。考える力が下がる。それによって色々な弊害が起こる。いや、うつ病になったから思考力が落ちたのか、思考力が落ちたからうつ病になったのか、その因果関係も正直どっちが先かわからないが、相乗効果があるのは間違いないだろう。

 

終日人と関わること無く最低限自分ひとりが行きてく金を稼げる仕事無いかなー……。

 

本田くらいがちょうどいい。それくらいこの国は病んでいる

以前、サッカーの本田選手が自殺に関する事を発言して炎上してたが、あれくらいがちょうどいい。俺がやったんだ!って。それくらいこの国は病んでいる。他人に感謝している余裕なんて無いくらい、余裕がない。それくらい病んでいるの。

 

 

今、生きる私たちは、多分、本田くらいがちょうどいい。

子どもが死にたいって言い出したら。ましてや本当に実行してしまったら、あなたはもうその子の親じゃありません。

批判と非難を恐れずに先に私の結論を書く。


いかなる理由であれ、子ども(定義が曖昧なのでここでは成人前、二十歳未満とする)が自殺したら、例えどんな事件や理由があろうとも、それはもう完全に親の責任で、親失格だ。その子の親を名乗る権利は無い。


子どもが死にたいって言い出したら。
生きているから、まだ挽回のチャンスはある。 絶対になんとかしなければならない。

 


なぜ子どもは自殺を考えるのか。


例えば勉強や受験。

私が高2の頃、志望校に受からず、自ら命を断った先輩が居た。尊敬する聡明な先輩だった。


確かに、受験戦争は深刻な問題だった。今の高校生事情はあまり良くわからないけれど、当時は表面上の受験戦争ピークの時期だったと思う。(顕在化してないだけで今のほうが実はやばいんじゃないの?という話もあるがそれはさておき……)

就職氷河期で、いい大学に入れなければいい会社に就職できず苦労することになる。と考えてる親はたくさんいたし、当時の情勢から考えるとそれは、そんなに間違ったことじゃなかった。

 

でも、たったそれだけのことで自殺するだろうか?
あえて「たった」と書いたけれど、高校受験と違って大学受験は潰しが効く。浪人すれば、二回目の挑戦権を得ることが出来る。そして、東大や京大に行く人達からすれば、浪人なんて、そんなに珍しい話でもない。

自殺した私の先輩は現役生だった。まだまだ伸びしろはあったと思うし、浪人したら東大に行ける実力だってあったと思う。(これは私だけでなく、先輩の友人も言っている)

でも彼は自ら命を絶った。丁寧に遺書まで残して。

 

 

なぜ子どもは自殺を考えるのか。


例えば恋愛。

 

私は男なので、女の子視点の事はよくわからないが、好きな人にフラれて死にたいとつぶやいていた知り合いがいた。中3くらいだったと思う。高1だったかも。

確かにフラれたら誰だって落ち込むし、あの子無しの世界なんて、この世に意味はないーーー くらいに思うかもしれない。

でも、大勢は立ち直り、次の恋をするのだが、彼は違った。なかなか立ち直らなかった。そんなに失うのが惜しいほどの可愛い子なのかなーと思って写メってもらったが、「それほどのものかなー?」と首をかしげた。
(今はないけど、当時は写メ文化だった。携帯で写真を取ってメールを送ることが、画期的だった時代もあった)
(学校の違う知り合いだったし、合う頻度も少なかった)


幸いにも未遂に終わったが、結局彼は失恋を理由に、自殺を敢行するのだった。

 

 


なぜ子どもは自殺を考えるのか。

 

例えばいじめ。

 

確かに、学校でのいじめが深刻な問題なのは疑う余地もない。
いじめにあった子は、学校での居場所を失い、不登校になったりするだろう。


でも、それだけで自殺を考えるだろうか?
冷静になって考えてほしい。いじめにあうのって、悔しくないか?いじめっ子になんとか一矢報いたいと考えないか?
(もちろん、いじめはダメな事だ。肯定するつもりは無い。無いに越したことはない)


でも、いじめを理由に子どもが自殺している。
いじめの領域を遥かに超えた犯罪じみた物もあるが、殺されるんじゃない。自殺を選ぶんだ。


私も小1の後半〜小3の頃までいじめられていた。私も、小3の時は真剣に自殺を考えていた。結局、死の恐怖のほうが勝ったから今日に至るまで生きているのだが……。

 

 

なぜ子どもは自殺を考えるのか。


さて、そろそろ私が何を言いたいか、分かってきてもらえただろうか。

これら3つは子どもの自殺と密接な関係のある事象だが、これらはあくまで「きっかけ」にすぎない。


なぜ子どもは自殺を考えるのか。

自殺を考える時、もうその子には、反撃する気力も、挽回するチャンスも残されていない。それほどまでに、不安定な状態にあるから。

なんでそんなに不安定なのか。それは、一人ぼっちだから。味方が居ないから。そして、「自分はこの世に価値のない人間だ」と考え、自らこの世を去ろうとするから。

 

もう言いたいことは分かってもらえたであろう。
子どもが自殺を考える時、もう頼る存在がどこにも見当たらないのである。

(死別・離婚などその他様々な家庭事情により)親すらも頼れない状況の子どもも存在するが、親に対して甘えることの出来ない、頼れない、信用できない子どもが自殺を検討し、実行にうつす。


子どもを自殺に追い込むのは、勉強でも、恋愛でも、いじめでもない。トドメを刺してるのは、親だ。

 


子どもが死にたいと言い出したら。年齢にもよるが、多分それは子どもにとって最後の賭けだろう。親のことを信じたい、甘えたい、助けてほしい。

 


本当に子どもが大事なら、せいぜい頑張れよ。本当に大事なら。

鬱のサイクル

前回の更新(2016年12月)から約半年(2017年5月)に鬱期がやってきたが、
やはり私は半年サイクルで鬱になるようだ。それを超えれば楽になっているので、もうこれはある種大きな生理現象として諦めるしかなさそうだ。

 

ということで、次は11月に一ヶ月休めるように手続きをしよう。どうすればいいんだー?

人間を1週間で精神的に病ませる方法


極めて簡単で、1日6時間、シャベルを持って穴を掘らせる。
意図はない。あったとしても「ただ掘れ」とだけ伝える。


そしたら、今度は6時間で、掘った穴を埋めろという。
もちろん意図はないし、あったとしても伝えない。


これを7日間繰り返す。
7日でダメなら14日。
14日でダメなら一ヶ月。
それでもダメなら1年間………。

 

 


人間は、必ず壊れてしまう。

 

 

 

 

 


でも、これが、「土を柔らかくして作物を育ちやすくする」
と、意味を与えられたら、少しは長持ちする。


次は、
「理由はわかったけど、じゃぁなんで俺がやらなきゃいけないんだ?」
という疑問が湧いてくるので、それに答える。

 


上と同じようなこと、子どもや、部下や、奥さんや、旦那さんにしてませんか?
「意味」の感じられる、学びや仕事、人間関係。やってますか?

 

黒背景に白字って怖いよね

表題の「黒背景に白字が怖い」っていう感情は、多くの人間の本能に近いレイヤーだと思ってて、多分、何かしらの危険を知らせる信号だったんじゃないかなーって思う。

 

 

私の中では、この色はすごい安心感のある色で、私のことを守ってくれるような、安心感を覚える色なんです。

 

 

たまーーに、個人制作サイトで、「この色センス見辛い」って思うやつがあるけど、同じように、製作者がその色に安心感を感じているんじゃないかなーって思う。

 

 

 

人間の心は木々の年輪のような構造

これ、あまり心理学会でもキレイな解説が無いんだけど、 個としての人の心は地層の構造と極めて似ている。

人の心は、地層だったり、木々の年輪だったり、要するに、幾つもの層が重なって出来ている。

最も中心には、胎児期の心があり、最も表層には現在の自分の心がある。 人間は成長によって、心が変化しているのではなく、過去の自分の心の外側に1層、心を重ねていくのである。

もちろん、外側の層は、内側の層にも影響をあたえるので、徐々に過去の自分が形成した心も変化するんだけど、そんなに大きくは変わらない。 また、ACとか、トラウマとか、所謂心の傷というものは、内側から心が腐っているイメージなので、正直どうしようも出来ない。出来ることは、外側の層を分厚く固めて、内側が腐っても、木が折れないように補強するしか無い。

さて、コレだけなら、幼少期に心の形成にコケたら終わりで希望がないのだけど、一つだけ希望を提示したい。 それは、社会心理。

木で例えると、根を張っている大地に相当するのかな。 私達人間は、社会的な生き物なので、社会からも影響を受けている。それは、自分が所属しているコミュニティだったり、その時代の空気だったり。また、人間は植物と違って動くことが出来るので、自分が所属するコミュニティをある程度選択することが出来る。

木々が地面から水や養分を吸い上げるように、我々も社会から影響を受けている。 周囲のコミュニティが良ければ、内側から自分の心を癒やすことが出来るかもしれない。

もし、あなたが、限界を感じるなら、住む社会を変えてみて。 何度、変えてもいいと思う。幼い頃に積み重ねた心を癒やすかもしれないよ!