May in the dark

生きるのに困ったら

大企業に入ってとりあえず3年たつやつのボヤキ

 

とある大企業に新卒で入社してそろそろ3年経過します。
所謂「3日でやめるか、三ヶ月でやめるか、三年でやめるか」と言われる三年がもうすぐくるのです。


三年近く大企業という組織に居た振り返り(主にバッドプラクティス)を書きます。

 

# 学生時代考えてたこと

まず、学生時代にまで話を遡ると、当時は本当に何も日本社会を理解して無く、わりと夢と希望だけで生きてた若者でした。

まだ女にも興味があったし、野心もあった。
海外に飛び出したいとか、結婚したいとか、大学院に行きたいとか、色々な夢はあったのだけど、様々な制約を考えると、それらを捨てることになります。

当時の彼女に「あなたには夢がない」と言われるくらいには、その時から多分精神的に枯れてたんじゃないかな。笑

※ ↑は少し意地悪な書き方で、「あなたには夢がない(けど、もう少し未来を夢見て生きても良いんじゃない?)」が正しい。ごめん。

で、様々な制約とは

- お金
- 能力
- 自信

の3つで、特にお金がかなりボトルネックでした。

「大学までは出す。けどその先は知らん」と言われて育ってきたし、私もそれを当たり前だと思ってましたし、何より両親の状況を見て、これ以上お金の援助をお願いするのは無理だと思ってました。

(大学も、特待で学費の大半を免除してもらってなかったら行ってなかった

ので、大学院に行くとか、海外に留学するとか、そういう「お金のかかる事」をやるのは普通の方法では無理だと思ってたし、「普通じゃない方法」が当時の私には見つからなかったので、これは選択肢から外れました。


ので、夢とか希望とかクソもなく「就職するか」というのが現実でした。

 

追記:

絶対指摘されると思ったので書いておくと、「お金」のせいにした「お前の逃げ」じゃないのか?と思うかもしれない。答えはYesで、そのとおりだと思ってる。けど、それは勝てない勝負だから降りたと思ってもらう認識のほうが正しいと思う。

 

より正確には、お金という問題を、未来の私が解決できる自信がなかった。借りるにせよ、更に両親のスネをかじるにせよ、その責任を果たしきれる自信がなかった。

 

 


で、当時持ってた内定先の中で、一番給料が良くて待遇がいいところ。で今の企業に入りました。

ベンチャー企業というカードも手札にあったのですが、「とにかく両親を安心・納得させる」という裏ミッションもあったので、大企業のカードを切りました。

後から考えるとこの判断は私にとっては大正解だったと思っています。

 

 

# 入社してから休職まで

半年で私は精神的に壊れ、「希死念慮」の名目で「措置入院」を突き付けられ隔離病棟にぶち込まれることになります。

原因は、はっきり分かっていますが、まだ多くは書けません。
(最初は書いてたんだけどね。明文化するとアレコレややこしい時代になったから

とにもかくにも、様々な事故が重なり、私はまともに人間の言葉を話せない状態になりました。
(大げさに聞こえると思うけどこれは本当の話で、人間精神を壊すと、twitter 上で「あーまじで死にたいわー」すら言えない。「ああ・・・・ああああうあああ」とかいううめき声しか出なくなる。

 

# 休職 - 措置入院から退院まで

記録に残ってる休職開始日と、記憶に残っている日が約一ヶ月くらい間が有るので、その間に(あんまり覚えてないけど)色々な事があったんだと思います。


とりあえず、本当に動けなくなった私は、会社から両親へ「○○さんが出社しない。連絡も取れない」と通告が行ったそうで、両親が慌てて私の自宅を訪れ、(後から両親から聞くには、私は明らかに目線が明後日の方を向いており、動物のように他者への警戒心をむき出しにしていたそうです)私をなんとか実家に連れ帰ります。

 

 

 

この先1光年

 

 

 


さて、実家に帰って、一通り騒ぎ、暴れ終わった後、私もある程度正気に戻ります。

この、正気に戻るという、たった数分の間に、記憶の無い一ヶ月を一瞬で追体験しているみたいで、人生で二番目に苦しいフェーズだった。

それまでの私の行動原理は、「怒り」でした。
こうしたらもっと良くなるのに!(なんでやらない。できないんだこのやろー!
という怒りを世の中にも、そして自分にもぶつける。「あれ、これおかしいぞ?」と思ったら、猪突猛進で切りつけかかる。


そんな生き方をしていたのですが、自分の行動のエネルギー元になっていた、「怒り」が消えていく。すーーっと消えて、深い深い諦めに変わっていく。

あぁ
どうせ
なにをやっても


そんな言葉に、自分の心が全てが置き換わっていく。

「お前は」
「どうせ」
「なにをやっても」
「失敗する」
「だからダメだ」
「お前の同期は、今も出社しているぞ」
「お前の友達は、堂々と生きているぞ」
「お前はダメだ」
「お前は屑だ」
「やっぱり俺は社会不適合者だったのか」
「そうだよあく死ねよ(淫夢厨」

このかぎかっこ付きの文章全部。1秒で読み切れますか。無理ですよね。
でも、脳内ならそれが出来るんです。そしてそれが、自動的に、延々とループされる。


「あと人生50年以上あるらしいんだけど…」


実家へ帰宅した翌日。
両親に連れて行かれ、サナトリウム という所に行きます。
サナトリウム??」と思ったのですが、日本語に直すと、長期療養所で、私が行った所は、精神を壊した人以外にも、認知症などの方がいらっしゃいました。

 

とにもかくにも、ここで、私は医者に「措置入院」という紙を叩きつけられます。
これを見た瞬間、最後の理性が全て働き、「このままおとなしく措置入院したら、きっと一生出れない」
と考え、医者・両親・その他のスキを見て、全速力て走って逃げることにしました。

後から考えれば、「このままおとなしく措置入院したら、きっと一生出れない」というのは、半分間違いだったのですが、とにかく、その時の私の「逃げる」という判断は正解でした。

25kmは走りました。(マジです)

なんせ措置入院というカードを叩きつけられているんだから、すぐに警察が動くと思ったので(実際には動かなかったけど)足がつきそうな交通機関を使わず移動することを決めたまでは良かったのですが、

なんと財布がない。

しまった、普段のバッグにしまったままだった。

 

この時初めて、SUICA の残額数百円じゃ何も出来ないことに気が付きます。

幸か不幸か、その時点での最寄駅から実家に帰るまでの交通費分はチャージされており、

「これはあれだな」
「素直に措置入院しろってことだな」
「いいや。どうせもう俺の人生終わったんだ」
「あと50年、隔離病棟ぐらしか」
「何をして過ごそうかな」

と、良くも悪くも全てを諦め受け入れ、実家に戻り、翌日改めてサナトリウムを訪問し、措置入院を受け入れる旨を伝え、隔離病棟に入院することになりました。

 

サナトリウムは病棟が2つに分かれており、所謂普通の病棟と、全ての窓・ドアが二重になってロックも二重になってる四重結界の隔離病棟があり、当然後者に入ることになります。


そこに入ってる人は、明らかに認知症だったり、明らかに強迫性だったり、明らかに境界例だったりするのですが、私もその仲間入りを見事果たしました。

私は前向きでした。
50年間死ぬまで隔離病棟で何して過ごそうかな〜。
って本気で考えていました。

病室に持ち込むものは著しく制限されたのですが、学習参考書は問題なかったので
(学校でのいじめなどで心を壊し、病棟で勉強している子が居たため)
英語の文法書を一冊買ってきてもらい、英語の勉強を熱心にはじめました。

他にすることも無かったしね。電子機器は一切ダメで、外部と連絡を取る手段も無かったので。

その時の私は、本当に全てを諦めていたので、逆にメンタルは超健康でした。

強いて言えば、毎日引きこもらざるを得なかったので、運動不足を気にしていたくらい。笑

 

 

他の入院患者と比較し、明らかに1人健康的すぎた。

 

追記:

 というか、隔離病棟に居るの、余計に精神衛生上悪いと思う。上述の通り外にでれないし、なにより「閉じ込められてる」「監視されてる」という、自由を著しく制限されている環境下なので、すごい罪人ではないけど、罪人みたいだなって感じながら生きていた。

 

 

一週間後。

 

措置入院は解除されました。
それはそれで面を喰らいました。

医者「会社に復帰してください。問題ないと思います」

いやいやいやいやいや、どう考えても無理やろ。何言うてんねん。

 

 

と素直に反論しました。


結局、正確な診断名は出てませんでした。あのうめき声しか出なかった時の私をどう説明するねん。と。


そして何より、復帰してまたすぐにそんな状態になったらどうするねんと。それこそアウトやん!

 

後々の話だが、今、私の面倒を見てもらっている医者からは
「学会で発表していいですか?」と言われるくらい、私は、既存の心理学の枠組みに収まりきらない男だった。
いやいや、そんなところで、「既存の枠組みに収まらない男。キリッ」とか言われても…。


当時、サナトリウムで私を担当していた医者もそれには頭を抱えており、
「確かに、あなたには○○と××という傾向はある。だが、△△とも言えるし、見方によっては--とも言えるしなぁ……たしかに、健常とは言い難いし……むーん……」


という具合に、「自殺の危険はない」ということで、措置入院は解除されたが、
引き続き実家での、所謂「自宅療養」は続くのであった。

 

 


# 自宅療養から復職まで

実家に居ると、とにかく現実が目の前に迫ってくる。

私は「健康になって」「会社に復帰する」というカードと、「会社を辞めて」「バイトとかを始め」「フリーターになる」という選択肢があった。

大企業に入ってよかったと思う最大のポイントはココで、
労組 / 健保組合がしっかり存在している会社だったので、ある程度の金銭的な支援や復帰支援を受けることが出来た。
実家ぐらしで完全に生活は両親に依存していたが、最低限度生活できるお金を休職期間中、支給される。所謂傷病手当金というやつになる。(もちろん、休職期間には限りがあるが)
このような、傷病者へのサポートが無い会社も多く、なければ前者のカードはそもそも存在しなかった。


まだまだ精神的に不安定で、考えなければならないことも多く、うめき声こそあげなくなった物の、
誰も居ないところでは「死にてー」と無意識でつぶやく頻度は高かった私だが、
どう考えても「会社に復帰する」というカードが有るうちはそれを切るしか無かった。


このカードを切るリスクは1つで、また精神を壊したら今度は本当に廃人になるかもしれないという事。

要は、精神的安定を取るか、社会的な地位を得るか という問題に言い換えられた。
というのも、この国。私が思っていた以上に、公務員や一部上場の大企業の正社員というのは、身分を保証されているからだ。

この身分を失ったら家も借りれない、クレカも作れない、病院にもろくにいけなくなる。
アメリカの黒人差別をよそ事だと思えないくらい、この日本という国は身分社会だ。


そして、一度大企業を辞めると、再びここに帰るには難しい(少なくとも、当時の私の状態では)


ということで、復職を決意する。
しかし、このまま復職したら再び精神を壊すというリスクがあるので、

1. 毎週カウンセリングに通う(追記:診断とは別に通う。これ、保険適応外なので毎週とんでもないべらぼうな額を払わされる。
2. 想定復職日を決める

という2つだけを決め、後は時が満ちるのを待ちました。

なお、当時「新型うつ」とか「休職してるのに旅行行きやがって」とかいう記事をネットで見かけていたので、この期間中は復職するまで一切の他者との通信を絶ちました。

このインターネット社会、「SNSに居ない」というのは「存在しない」と同義なので、
「存在しない」なら何も文句を言われることはない。少なくともTwitter では発言していない。
Twitter の発言に対して揚げ足をとる足がないみたいな。

 

そして時が満ち、復職予定日。まるで何事もなかったかのように復職しました。


# 復職から1年以上経過して

復職してからの会社での出来事は書きません。
理由は上述の通り。

以降、精神的にはギリギリの状態を保ちながら低空飛行を続け、今もなお同じ会社に努めています。

 

とにかく、色々あったけど、最終的には、比較的、精神的に穏やかな環境に置かれることになり、いまに至ってます。


復職後の私にとにかく言えることは、本当に丸くなった。悪い意味で。
わりと色々な事に達観し始め、

「なるほど、ここはこういう理論で動いているのか」
それの良し悪しは問わず、その理論に、ただ従うのみ。

 

何も考えない。何も感じない。人形のように生きる。 Doll's Life.
それが最適解の生き方になりました。

 

一方で、とにかく犬になり、偉い人、年次の上の人に媚びを売り続けてます。

人形なんだか犬なんだか……。

 

理由としては、平社員には周知されない裏事情を少しでも把握して立ち回りを良くすること。政治ニアと揶揄される生き方してます。幸い、内部事情に非常に詳しい方と一緒に仕事をすることになったので、その点は非常に助かってます。価値観とかも合ってたし。感謝してもしきれん。

 

また、取り扱ってる商品の関係上、ネット上での行動は、私個人や会社へのとんでもない打撃を与えかねず、結局引き続きSNSからは身を隠すことにしました。

 

とにかく、私は、徹底した「リスク回避主義」になってしまい、あー典型的な日本人だなーと、こじんまり落ち着くことになりました。

 

見知らぬ女性と合うのすら怖いもん。

悪くいうと、人間不信が悪化してる。笑

 

# まとめ:これを読んでどう思ったかはわからないけど

私が学生の時、所謂意識高い学生向けに、「大企業に長く居ると、転職市場で価値が下がる(だから若いうちに起業したりベンチャーに入って苦労を積め」という風潮がありました。

これは強者や運がいい人の理論です。

人間いつ事故にあったり病気になったりするかわかりませんが、そういうリスクが少なからずあります。
自分が弱者に回ってしまった際に、それをカバーしてくれるセーフティーネットが、あってよかった。

大企業に入って、思う所はたくさんあります。旧来の古いやり方や価値観に囚われてるし、確かにこのまま居ると、腐るなって思ってます。思ってますが、上記のセーフティーネットに守られているというメリットが、デメリットを上回った。

 

私の場合はね。それだけの話です。

 

よく、親しい友人たちから「転職してうちのベンチャーで一緒に働こうよ」と誘われます。
これは本当にありがたい話だと思っているのですが、上記の理由で、副業としてのジョインはしてたりしますが、正社員としてはジョインしません。まだ。


でも、1つ、私は決定的に詰んでるポイントがあり、
早くなんとかしないと滅ぶなって思ってます。


それは、色々な事を諦めてしまうクセが(元々あったけど、更に酷いクセが)ついてしまった事。
将来自分はどうしていきたいか、どうやって生きていきたいか。みたいな展望がまるで無い。

 

人生残り全部余生!あと50年もある。って本気で思ってる。


ので、なんでも良いんだけど、
「自分はこうなりたいなー」っていう展望だけは持っておいたほうが良い。夢は一度見失うと二度と見つからないから、掴んだ夢は離さないで。大丈夫。いい女(男)やいい会社は、世の中5万くらいあるから。


大企業に入った最大の失敗は、夢を見失ったこと。自分の力で生きる意志を失ったこと。両親のスネをかじった後は、会社様におんぶにだっこ。それってすごくダサくない?でもそれを受け入れないと、いまの私は生きていけない。


単純に年を取ったのか、新しいことに挑戦する気力やモチベーションがわかなくなりつつある。


じゃぁなんでこんなまとめを書いているんだろうか?

 

 

それは、多分、私がまだ生きているからだと思う。人間として。

 

 

インターネットは心地よい居場所ではなくなった

高校生の頃も、私は今みたいに面白くなさそうな表情で日常を行きていたと思う。死にたいともつぶやいていたと思う。18歳以降生きるビジョンが見えなかったし、本当にどうしたらいいかわからなかった。

 

今にして思えば、あの時私がすべきことは一心不乱に学校の勉強をして受験するか、英語の勉強をして海外に留学する事だったと言えるが、そのどちらもしなかった。とういうか、それが現状を打開する手段だとは思えなかったし納得も出来なかった。

 

忘れもしないが、死を決断したタイミングは三回もあった。よく、自己啓発セミナーとかで、「人生グラフを書いてください」とか言われたら、極大と極小の波、が高校の三年間に三波も現れる、他に見たこと無いグラフを書くくらいには荒れてた。

 

そんななかでも生き残ることができたのは、インターネットがあったからだと思っている。

 

具体的には、某動画投稿サイトと、MMORPGと、当時やってたブログのお陰で私は生き残れた。

 

某動画投稿サイトで、自分の知らない事を知り、MMORPG では、現実とは違う自分になる事ができ、ブログのお陰で心の整理が出来た。また、インターネット上での人との交流も盛んで、慰め合ったり意見を交わしたり、インターネットによって救われていた。

 

 

10年の月日が流れた。

私は少年からおっさんになり(まだギリギリ20代だけどな!)、インターネットは変わった。端的にいうとリア充の巣窟になった。SNSが発達し、共感が共感を呼び、共感できないマイノリティの感情が排除されていく。そんな世界に変わり果ててしまった。

 

今の少年少女たちに、「嫌なことがあったらインターネットに逃げれば良い。色々な人と出会えるから」と言うアドバイスは、無駄である。なぜなら、彼らにとってはインターネットも現実も大差なく、自己を受け入れてもらえる、多様性のある空間ではなくなっているから。

 

また、インターネットには天才発掘という面もあった。現実世界では発揮できない才能を、仮想世界で発現させる人が多数いた。が、今は違う。インターネットは現実の一部となったので、現実で才能を発現させる=インターネットでも才能を発現させる になった。つまり、ネットならワンチャンある!みたいな、新大陸を探索する感がもう無いのである。

 

 

さて今。こんなブログタイトルでブログを書いている若年性老害症候群に見舞われている私であるが、高校生時代に比べると、楽なはずなんだが、高校生時代よりも精神がしんどい。年取って体力が落ち始めてるのもあるんだろうけど、それ以上に、現実世界でストレスを吐き出すはけ口がない。というのがある。(だからこそこのブログを始めたのだが)

 

 

さて、私はここで反省しなければならない。自らにとって心地よい居場所を創る努力を怠っていた。という事である。

 

10年前、私が享受していた世界は、誰かが作成した物である。そこに便乗していただけである。(実際、便乗するしか出来なかったが)。自分自身が心地良い居場所を自分で作ることを私はしなかったのだ。

 

インターネットは私にとって心地良い居場所ではなくなった。現実世界はもっとそう。でも、だからこそ、自分の居場所を自分で作る能力が求められる。

 

どうすれば良いんだろうか??でも、これは1つのミチシルベとして、心に留めておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

精神を壊した後の後遺症

あくまで私の場合なんだけど。

 

全部で3つ。

1. 頭が悪くなった。

2. 文章が読めなくなった

3. 人と関わるのが億劫になった

 

それぞれ詳解に書いていく。

 

1. 頭が悪くなった

さらに細かく分解すると、「集中力が落ちた」に全て集約されると思ってて、深い思考ができなくなったり、状況を一瞬で判断できなくなったり、どこかぼーーーっとしている(ように感じるし、他人からも多分そう見えている)ようになった。何かを深く考えることができなくなった。

 

2. 文章が読めなくなった。

これは、自分の精神崩壊度を如実に表してくれるバロメータで、文章が読めない。たった3行が読めない。Twitter すら読めなくなった。今こうやって自分で書いている文章も、見返すことが出来ない。

自分が一日何行本を読めたかで、その日の精神的健康度が分かる(笑)

 

3. 人と関わるのが億劫になった

これは、一番危険だと思っている。他者と関わると、すごく精神的なエネルギーを持っていかれる。人と関わるというのは、非常に高度な知的作業だということを、皆もっと理解した方がいい。相手の顔色を伺い、相手の言葉の裏を読み、相手が求めていることを考え、その場に最適な解を言葉や態度に示す。というのは、もう私には出来ない。

 

結論から言うと、うつ病になると、思考力が極端に落ちる。考える力が下がる。それによって色々な弊害が起こる。いや、うつ病になったから思考力が落ちたのか、思考力が落ちたからうつ病になったのか、その因果関係も正直どっちが先かわからないが、相乗効果があるのは間違いないだろう。

 

終日人と関わること無く最低限自分ひとりが行きてく金を稼げる仕事無いかなー……。

 

本田くらいがちょうどいい。それくらいこの国は病んでいる

以前、サッカーの本田選手が自殺に関する事を発言して炎上してたが、あれくらいがちょうどいい。俺がやったんだ!って。それくらいこの国は病んでいる。他人に感謝している余裕なんて無いくらい、余裕がない。それくらい病んでいるの。

 

 

今、生きる私たちは、多分、本田くらいがちょうどいい。

子どもが死にたいって言い出したら。ましてや本当に実行してしまったら、あなたはもうその子の親じゃありません。

批判と非難を恐れずに先に私の結論を書く。


いかなる理由であれ、子ども(定義が曖昧なのでここでは成人前、二十歳未満とする)が自殺したら、例えどんな事件や理由があろうとも、それはもう完全に親の責任で、親失格だ。その子の親を名乗る権利は無い。


子どもが死にたいって言い出したら。
生きているから、まだ挽回のチャンスはある。 絶対になんとかしなければならない。

 


なぜ子どもは自殺を考えるのか。


例えば勉強や受験。

私が高2の頃、志望校に受からず、自ら命を断った先輩が居た。尊敬する聡明な先輩だった。


確かに、受験戦争は深刻な問題だった。今の高校生事情はあまり良くわからないけれど、当時は表面上の受験戦争ピークの時期だったと思う。(顕在化してないだけで今のほうが実はやばいんじゃないの?という話もあるがそれはさておき……)

就職氷河期で、いい大学に入れなければいい会社に就職できず苦労することになる。と考えてる親はたくさんいたし、当時の情勢から考えるとそれは、そんなに間違ったことじゃなかった。

 

でも、たったそれだけのことで自殺するだろうか?
あえて「たった」と書いたけれど、高校受験と違って大学受験は潰しが効く。浪人すれば、二回目の挑戦権を得ることが出来る。そして、東大や京大に行く人達からすれば、浪人なんて、そんなに珍しい話でもない。

自殺した私の先輩は現役生だった。まだまだ伸びしろはあったと思うし、浪人したら東大に行ける実力だってあったと思う。(これは私だけでなく、先輩の友人も言っている)

でも彼は自ら命を絶った。丁寧に遺書まで残して。

 

 

なぜ子どもは自殺を考えるのか。


例えば恋愛。

 

私は男なので、女の子視点の事はよくわからないが、好きな人にフラれて死にたいとつぶやいていた知り合いがいた。中3くらいだったと思う。高1だったかも。

確かにフラれたら誰だって落ち込むし、あの子無しの世界なんて、この世に意味はないーーー くらいに思うかもしれない。

でも、大勢は立ち直り、次の恋をするのだが、彼は違った。なかなか立ち直らなかった。そんなに失うのが惜しいほどの可愛い子なのかなーと思って写メってもらったが、「それほどのものかなー?」と首をかしげた。
(今はないけど、当時は写メ文化だった。携帯で写真を取ってメールを送ることが、画期的だった時代もあった)
(学校の違う知り合いだったし、合う頻度も少なかった)


幸いにも未遂に終わったが、結局彼は失恋を理由に、自殺を敢行するのだった。

 

 


なぜ子どもは自殺を考えるのか。

 

例えばいじめ。

 

確かに、学校でのいじめが深刻な問題なのは疑う余地もない。
いじめにあった子は、学校での居場所を失い、不登校になったりするだろう。


でも、それだけで自殺を考えるだろうか?
冷静になって考えてほしい。いじめにあうのって、悔しくないか?いじめっ子になんとか一矢報いたいと考えないか?
(もちろん、いじめはダメな事だ。肯定するつもりは無い。無いに越したことはない)


でも、いじめを理由に子どもが自殺している。
いじめの領域を遥かに超えた犯罪じみた物もあるが、殺されるんじゃない。自殺を選ぶんだ。


私も小1の後半〜小3の頃までいじめられていた。私も、小3の時は真剣に自殺を考えていた。結局、死の恐怖のほうが勝ったから今日に至るまで生きているのだが……。

 

 

なぜ子どもは自殺を考えるのか。


さて、そろそろ私が何を言いたいか、分かってきてもらえただろうか。

これら3つは子どもの自殺と密接な関係のある事象だが、これらはあくまで「きっかけ」にすぎない。


なぜ子どもは自殺を考えるのか。

自殺を考える時、もうその子には、反撃する気力も、挽回するチャンスも残されていない。それほどまでに、不安定な状態にあるから。

なんでそんなに不安定なのか。それは、一人ぼっちだから。味方が居ないから。そして、「自分はこの世に価値のない人間だ」と考え、自らこの世を去ろうとするから。

 

もう言いたいことは分かってもらえたであろう。
子どもが自殺を考える時、もう頼る存在がどこにも見当たらないのである。

(死別・離婚などその他様々な家庭事情により)親すらも頼れない状況の子どもも存在するが、親に対して甘えることの出来ない、頼れない、信用できない子どもが自殺を検討し、実行にうつす。


子どもを自殺に追い込むのは、勉強でも、恋愛でも、いじめでもない。トドメを刺してるのは、親だ。

 


子どもが死にたいと言い出したら。年齢にもよるが、多分それは子どもにとって最後の賭けだろう。親のことを信じたい、甘えたい、助けてほしい。

 


本当に子どもが大事なら、せいぜい頑張れよ。本当に大事なら。

鬱のサイクル

前回の更新(2016年12月)から約半年(2017年5月)に鬱期がやってきたが、
やはり私は半年サイクルで鬱になるようだ。それを超えれば楽になっているので、もうこれはある種大きな生理現象として諦めるしかなさそうだ。

 

ということで、次は11月に一ヶ月休めるように手続きをしよう。どうすればいいんだー?

人間を1週間で精神的に病ませる方法


極めて簡単で、1日6時間、シャベルを持って穴を掘らせる。
意図はない。あったとしても「ただ掘れ」とだけ伝える。


そしたら、今度は6時間で、掘った穴を埋めろという。
もちろん意図はないし、あったとしても伝えない。


これを7日間繰り返す。
7日でダメなら14日。
14日でダメなら一ヶ月。
それでもダメなら1年間………。

 

 


人間は、必ず壊れてしまう。

 

 

 

 

 


でも、これが、「土を柔らかくして作物を育ちやすくする」
と、意味を与えられたら、少しは長持ちする。


次は、
「理由はわかったけど、じゃぁなんで俺がやらなきゃいけないんだ?」
という疑問が湧いてくるので、それに答える。

 


上と同じようなこと、子どもや、部下や、奥さんや、旦那さんにしてませんか?
「意味」の感じられる、学びや仕事、人間関係。やってますか?