May in the dark

生きるのに困ったら

人として信頼されていることは嬉しく思う

人として信頼していると、信頼する上司に言われることほど嬉しいことはない。

 

嬉しいことはないが、3年間ずっと、戦国時代で言う殿みたいなこと。つまり、製品の撤退処理であったり、同期や先輩が残したクソなもののおもりをしたり、営業や企画が残したものをクソがって言いながら処理する仕事に疲れた。

 

 

さすがにもう私はキレていい。キレていいよな?

それは闇ではなかった

最近、闇を感じることが少なくなりました。

 

 

今まで闇に苦しんでいた自分にとっては、確かに一瞬希望にも思えたのですが、そうではなかった。

 

今まで自分が闇だと思っていたものを、必死にもがいてかき分けて精査していくと、そこには「何もない」がある。ということが分かりました。

 

 

光と闇は同義だと思っていて、「光射すところに影もまた生まれる」がこの世の真理なので、すごい目立つ綺羅びやかな人生の足元には無数のそうではない人生があるのです。

 

だから、闇があるということはどこかに光があるということで、それを求めるのは非常に容易いことでした。

 

ところが、調べても調べても光は見つからず、闇が深まるばかり。

 

それは、闇ですら無い「虚無」だった。

 

In the Darkness ではなく、in the Nihilistic だった。笑

 

ていうことに気がついて、虚無から光を生むか、闇から建造物を作り出すかって二択を迫られて、後者を選ぶことにしました。

 

つまり、再び混沌の世界に身をおくことにしました。

 

ドロドロとした、薄暗くて、それでもどこかぬくもりを感じる混沌の世界。そここそが私の居場所で、私の力の源なんだろうなと気がついてしまったのです。

 

ていうか、虚無から光を生むって、ビッグバンを起こせってことなので無理に決まっとるやんけ。

 

この国は、闇すらも消滅する、虚無の世界がどんどん広がっていっている。確かに、虚無の世界が持つ力もまた存在するんだけど、自分が虚無になってしまっては本当にもう救いようがない。それこそ心の死だ。

 

だから私は闇に逃げる。闇と共に生きる。

 

と改めて決心した

心を取り戻して一ヶ月が経過しました。

心を取り戻してから一ヶ月。正確には二ヶ月くらいですが、4月始まりで計算したほうが切りが良いので、そういうことにしました。

取り戻したと言っても、前にどこかで書いたように、人の心は年輪のように成長していくので、心が死んで腐っていた次期に形成された、闇はこれからも一生抱えて生きて行くし、いつかまた調子が悪くなった時に、痛むことは間違いない。

 

間違いないけど、次に心が死ぬのはきっと14年後。自分が41歳になった時にやってくる。もしかしたら、年齢のことを考えると、本当に次は体からやられてるかもしれない。


心を病んだ人が心を取り戻すのに必要な事は、全部で3つ。

 

待つ。
眺める。
諦める。


自分の回復を待つ。世界の流れが自分に向くのを待つ。復活のチャンスを待つ。

世界を眺める。自分を客観的に眺める。日々が無意味に過ぎ去るのを眺める。

そして最後に諦める。自分に出来ないこと。興味ないこと。やる気がでないこと。
それら全てを諦める。

 

 

そうしたら、より純度の高い自分の心がいつの間にか完成している。

当然、再構築後は、ツギハギだらけなので、すぐに壊れる。また壊れる。何度も壊れる。


そしたらまた、待って、眺めて、諦めて。必要なものだけを再構築していく。

 

心を取り戻した後、再び心を失う日が、必ずまたいつかやってくる(私の場合は次はきっと41歳前後)

 

その時、どれだけ待っても、どれだけ眺めても、何を諦めても大丈夫なように、色々と心のパーツを用意しておかないと行けない。


大事なのは、マイナスをプラスのエネルギーに変換するその瞬間の爆発的な火力。
そしてそれを生み出す変換器。新しい変換器を作らねば。火力発電から原子力発電、
自然発電になっていくみたいに、より自然なエネルギーを生む機会、環境は何なのか

 

 

 

 

蓄積された怒りをどう発散すれば良いのか

怒りの感情ってアレルギー反応みたいなものだと思ってて、体内の一定の許容値をオーバーすれば発症する花粉症だと思ってる。

 

蓄積された怒りをどう鎮めるのか。

 

そしてその怒りが自分の原動力になっている場合は、どうしたらいいのか。

 

 

まず、大前提として、怒りドリブンで行動すると、いい結果は絶対に帰ってこない。短期的にはいい結果が帰ってくるかもしれないけど、長期スパンで見れば絶対に良くない。幸せが幸せを呼ぶように、怒りは新たな怒りを生む。

 

そもそも、怒りで動くということは、他者のエネルギーによって動くということであり、主体性がないし、自分という人格の否定を自分でやっている事にほかならない。

 

でも、もう現界なのです。

 

蓄積され続けた怒りが、くしゃみや咳のように、溢れ出てきて止まらないのです。

 

 

心を取り戻した結果、心の奥底から怒り の感情が溢れ出てきて、制御できないのです。

 

それは、今まで「諦め」という形で奥底に凍結していたもので、「心を取り戻す」ということは、自分の心の奥底にある「諦めていた怒りの感情と向き合う」という、かなりリスクのあることなのです。

 

そして、溶け出した感情というのは、時と場所を選びません。

 

具体的には、小学生のときに蓄積された感情が出てきたり、社会人になってから蓄積された感情が出てきたり、とりとめがないし、「それってこうすればいいじゃん」って冷静に指摘されると「確かに」と思うのですが、それがもう悔しい。なんで自分は小学生みたいなアホな事を言っているんだと。

 

 

諦めることに慣れてしまった私は、怒りの感情への向き合い方が超下手で、この辺がまだまだ子供なんだなーと思うが、ここで止まったらもう二度と復活できない。

 

 

どんどん暴れまわるしか無い。

腐ったまま死にたくない

最近調子が良かったんだけど、急にまたガクッと折れた。

 

ベロシティが急激に下る感じ。分かる。分かるよー。この状態に入ると、何も出来なくなる。まず、読字困難になる。3行以上読めない。書けない。発話できない。

 

で、何故か奇跡的にこの状態を俯瞰することが出来た。

 

これは、奇跡だと思う。

 

うつ状態の私と、躁状態の私が一同に同じ肉体に存在し、体を動かそうとしている。

 

 

で、わかったことは2つある。

 

1つ、うつ状態の私は、躁状態のときの私の記憶を忘れているということ。例えば「良かったこと」とか「楽しかったこと」とか「夢」とか「目標」とか「今しなきゃ行けないタスク」「仕事」何もかもを忘れてしまっているということ。

 

性格には忘れているというよりも、「イヤダイヤダ」「死にたい死にたい」という感情が全面に出てきて、その感情以外が見えなくなる事が分かった。

 

いや、頭では理解していたつもりだが、理解している頭というのは躁状態の私なので、これを体で理解したのは大きい。

 

 

もう一つは、何かのきっかけで、そういう「うわああああ」っていう混乱状態が解除されること。これは、今まで色々な要因があったから、正直どれが正解か分からない。

 

正解に近いと思っているのは、たらふく飯を食うこと、寝ること、走ること。

で、残念ながら不正解な行動は、プログラムを書くこと。

 

コレに関してはまた考えなければならない。

荒療治をせねばならんな………。

 

 

 

 

 

 

躁うつ病(双極性障害)の説明に出てくるグラフは間違ってる

 

躁うつ病双極性障害)の説明に出てくるグラフは間違ってる


病院とか、メンタル系の本で必ずと言ってもいいほど出てくる、こういう感じの図
https://stat.ameba.jp/user_images/20091230/12/harmonic-soul/ca/c2/j/o0800043710358154002.jpg から引用

y軸の上方が躁、下方が鬱っていう置き方なんだけど、そうじゃない。

 

 

 

私の考える、躁うつ状態の関係性は以下の図のような感じ。

f:id:bussorenre:20180105144038p:plain
y軸は、心のエネルギーの向き。+ がポジティブ。- がネガティブ。

 

 

うつ状態は、心的エネルギーが0付近でとどまり続けるカームベルトみたいな状態だと思っていて、躁鬱と言うのは、エネルギーの振れ幅が大きすぎる状態だと思う。ここまでなら既存の図で全然問題ないのだけど、私にとって大事なのは、躁状態にも二種類あるということ。

 

すなわち、「創造的躁状態」と「破壊的躁状態」だ。わかりやすく言うと、「俺今日バリバリ仕事できるぜー!!」という状態が、創造的躁状態で、電車に飛び込むような状態が、「破壊的躁状態」だ。

 

うつ病より躁鬱病のほうが自殺率高いのは、この「破壊的躁状態」が発生する確立が高いから。うつ病の回復期に自殺率が高いのは、気分の波が現れ始めて、プラスにもマイナスも振れ始めるから。

 

既存の図じゃこれらが説明できないけど、この図なら、その現象を簡単に説明できる。我ながら良い発明品だ。

The dark may be with 2018

2018年になりました。

 

2017年の振り返りにも書いたとおり、いつの間にか自分の中では裏ブログであるこちらのほうがメインになってきました。最初は「とりあえずネットに公開するけど、むしろぐぐって引っかからないくらいのPVがいいな」と思っていたのですが、さすがGoogle先生。一年以上続けるとヒットするようになるんですね。いやはや怖い世の中だ(棒

 

いつの間にか、スターや購読者もつくようになった。ほんとにありがとうございます。


さて、巷には、悩める子羊のために数多の自己啓発本、宗教書、メンタル系の色々な本があるが、基本的には「参考にはなる」が「役に立たない」と思って生きていくのが良い。

例えば、成功者のための大原則として有名な本「7つの習慣」とか「道は開ける」「人を動かす」とか、「ストレングスファインダー」とか、そういう類の本。確かに、ためになることはガンガン書いてあるが、じゃぁ7つの習慣全部真似するのは愚行である。だって、それ書いた人と俺って別人じゃん?

おそらく7つの習慣を書いたコヴィーって言う人は、コヴィーさん自信が行きていく上であーでもないこーでもないって90年近く試行錯誤したことの総まとめだと思う。最近電子書籍で「トットちゃん」を読んでいるのだが、アレだって黒柳徹子なりの総まとめなんだと思う。

さて、珍しく表の顔の話のことを少ししようと思うが、私はプログラムを書く人である。いや、ハンドルネーム共通なんだからぐぐれば出てくるんだが。

便利なツールとしてフレームワークという概念が有る。まぁ、便利な機能をあらかじめ作っておきました。みたいなやつだ。「電子レンジでできちゃうお手軽料理レシピ!」みたいな。そういうの。そのフレームワークだって、誰かが「コレは便利だー」と思ったものを集めたもので、私が便利だーと思ったものではない。自分でフレームワークを作るしか無い。


2017年は、思ったことを可能な限り支離滅裂に書いてきたが、2018年は、もう少し「闇」を体系化しようと思う。私なりに。だから、ブログデザインも多分、アフィサイトっぽくなる。

それはそれで嘘っぽいから嫌なんだけどな。


ということで、物書きとしての技量を高めなきゃなー。とも思う今日のこのごろ。何卒よろしくお願いします。