May in the dark

生きるのに困ったら

kindle Oasis を買った

今更kindle 買ったの!?!? と思われるくらいに今更ですが、Kindle Oasis を買いました。

 

 

f:id:bussorenre:20171221225247j:plain

 


かねてより、文字の難読状態が続く私で、どうにもこうにも、本を買うものの読めない。永遠に積み上がっていく。

 


いっその事、電子書籍にしようか。冬のボーナスも入ったしな。

 

 

ということで、半ばやけくそ気味に買った。
結論としては70% 正解だった。

 

理由はさっぱりわからないのですが、何故か物凄く読みやすい!!!!
気の所為???「せっかく買ったから読まなきゃ」っていう心理効果が働いている???

 

 

でも、コンピュータで見る記事よりも、活字で読む文章よりも、読める……!読めるぞ……!!

特に、英文を読むのが非常に効率いい。
知らない単語が出てきたら、シームレスに辞書が出てくる。

 

 

30% の失敗としては、

  • 漫画を読むには向いてない(漫画特化のデバイスがあるからそっちをどうぞ)
  • ページ遷移時に白黒が一瞬反転する。

まぁ前者はさておき、後者に関しては最初はかなり戸惑った。が、これはもう技術的にどうしようもない仕様なので、多少諦めるしか無い。でも、iPad で読むよりは遥かに楽に感じた。なんでなんだろうな。不思議だな。ちなみにiPad は文鎮とかしていたので売った。

 

 

他にあえて欠点を述べるならレスポンスが悪いところか。
でもこれ、本の代わりだしな。レスポンスなんてそんなに要らん。それよりも、付箋機能をもうちょっとどうにかしてくれい。

 

ちな完全防水らしいけど、防水よりも機械は水に近づけないが鉄則だと思ってるので、そこはよくわからない。
あと、ワリと仕様書を読む機会が多いのだけど、pdf をどうやってぶち込むのかよくわからないが、まぁ多分できるらしい。ええね

 

 

 

 

 

 

 


珍しく、暗くない話だったな。今回。

 

闇の正体

自分がどうしてこんなにしんどいのか、原因を探し求めはや5年。

 

精神科に通い、脳外科でMRIも撮影し、消化が悪くて体も細くて体調(とメンタル)にも影響が出ているんじゃないかとか、そもそも仕事で上手く行っていないのが悪いんじゃないかとか。

 

 

結論は、最も足元にあった。灯台下暗しでした。

 

ついに両親から「孫の顔が見たい」と言われる歳になり「俺が生まれたときはどうしたのかアドバイスをくれ」と申したところ、いままで話してくれたことのない「私が生まれる前後」の話をしてくれました。

 

生活に困窮してたこと。毎日母親と父親が大声で喧嘩してたこと(かすかながら、私にも記憶があります)父親も、仕事に上手く行っておらず、精神的に不安定だったこと。

 

弟が居るのですが、弟が生まれるときに、祖父母に家に預けられる事になるのですが、その時はお前は目が輝いていたということ(逆に、それまでは多分眼が死んでた)弟が生まれて私はさらに放置されるようになった事等。

 

ようやく答えが見つかった。

生まれたときから3歳くらいになるまでのダメージが、発育阻害を産んでいたということがよくわかります。典型的なストレス性の発達阻害です。

そして、3歳頃から6歳頃まで、発育阻害により周囲より成長が遅れてますので、両親の不安を更に煽るわけですね。具体的なのが、初語の遅れとか。悪循環。

 

さすがに小学校くらいからははっきり記憶がありますので、自分がどういう具合に生きてきたか分かるのですが、小4のときに自殺をはっきり検討しているあたり、多分そうなんだと思います。

 

 

 

 

さて。

はっきりした原因が分かりました。まぁ、救いがあるのか無いのかはわかりませんが、後天性の異常は後天性の何かしらの努力でなんとかカバーできる気がする。

 

一人アサーション・トレーニングをひたすら続けるしかねーなー。

ということで、わりとはっきり光明が見えたので、頑張るかーという感じ。

 

始まりも終わりも突然に

三週間近く続いた軽躁状態がさっくり終了し、再びダウナーモードがやってきた。

 

 

私はII型なので、まぁ、これと言った分かりやすい躁状態はない。外から見えるのは、「こいつ、いつも調子悪そうやのに、今日は元気そうやな〜」っていうのが私の躁状態。つまり、躁状態は正義なのだ。

さて、なぜ、いつ、どこからこの躁状態が始まったのか分からないけど、ちょうど一ヶ月前くらいに、躁状態が始まった。自覚しか無かった。「あーこれは軽躁状態ですわ」と。もう、自分の体との付き合いも長いので、「あーこれは軽装状態ですわー」と何度も言い聞かせ、冷静になる。

 

つまり、自分が元気である事を前提に計画を立てない。目の前の事しかやらない。

 

仕事的にはかなり上手く行った。二ヶ月分の仕事をたった二週間でやってしまったからね。

 

で、多分、急激に温度が下がって自律神経がぶっ壊れたんだと思うけど、急にうつ状態に戻った。

 

だいたい、軽躁状態は基本的に疲労感を感じない。いや、感じるんだけど、倦怠感ではない。常にしんどい。みたいな事は無い。エネルギーを使った分だけ疲労を感じる。

 

しかし、うつ状態になると、常にしんどくなる。

 

だるいねむいつらい。以上。

 

自分の波が予測できれば良いのだが。現状予測できない。何かこう、予測する良い手段は無いものか

 

 

 

 

 

 

心の病気は自分にも見えない

過去に様々な医者に出会って、色々な診断を受けてきた。

 

(多分精神科に限らないと思うけど)医者って大きく2つのパターンがあって

  • 社会性を気にして、診断名をはっきりしないタイプ
  • 逆に、疑わしきは罰せよの精神で、仮診断をはっきりさせて、徐々に変えていくタイプ

 

当事者にしかわからないと思うけど、社会性を気にして、「どっちか判断が難しい」などという場合には、診断を有耶無耶にするケースがよくある。

ここで言う社会性とは、復帰・再就職に不利になる事。

 

さて、私も様々な診断を受けてきたが、ようやく自分の病気が何か判断がついてきたところだ。

 

私は、生まれつき2つのメンタルエラーを抱えている。

まず、自閉症に関して。まぁ、うん、知ってた。コミュ障だもん。

 

で、24歳のときに今更自閉症と診断された経緯については、多分、時代背景もある。

よくよく母に聞くと、私は初語がめちゃくちゃ遅く、3歳時点ではすでに自閉症を疑われていたのだが、当時、一般的に自閉症と言えば、知的障害を伴うカナー症候群の事を指していた。

だから、知的障害のラベルを貼るのは両親も、医者も避けたかったんだろう。

 

実際、IQテストすると120近くある。すごい!天才じゃん!笑

まぁでも、子供の頃から母親と眼が合わない、手を繋がない、遠くに一人で行く、過集中、数字を一列に並べるだけで楽しい。ナドナド、要素は揃ってるよね。

 

あと、発達障害とかADHDとか言う診断を出す医者は信用してはいけない。なぜなら、現在の日本では明確な診断名では無いからだ。

 

 

次。双極性障害II型

こちら、発症自体は後天的なのだが、持ってる因子としては先天的な疾患だと思う。(色々調べてようやくわかってきたけど、どうも特定の遺伝子エラーらしい)

 

自覚症状として疑い始めたのは、高校生の頃からだけど、冷静に考えると小学校の頃から発症してたと思う。というのも、塾の夏期講習期間だけは、ものすごく躁状態で成績が良く、その他は勉強にやる気がなかったからだ。

 

(色々な論文を読み漁ったけど、間違ってるかもしれない)双極性障害と言うのは、まず、先天的にそういう因子があるか無いか。なければ発症しない。で、因子があって、特定の発症要因があって初めて発症する。だから、先天的に因子を持っていても、発症しない人が居る。

 

双極性障害II型の診断が遅れてる理由としては、はっきりとした躁状態を観測していないから。ここでいう躁状態とは、社会的に損失を被るほどのハイテンションだと思っていて、たしかにそこまではやってなかった。

 

が、ついに最近やらかした。

どうも、社会人になって、そこそこお金を手に入れないと、損失レベルの高い買い物はしないみたいだ。笑

 

 

 

私の場合は、自閉症と、双極性障害II型の2つが独立して併存している。

この2つの二次障害として、無気力とか自己効力の低下とか、自律神経失調とか産んでるみたいだ。

 

ここまで調べきるのに8年かかった。やっと自分が何者かわかった気がする。

 

 

 

処方されている炭酸リチウムを飲んだ日と、飲まなかった日で、明らかに調子が違う。

受付の優しいお姉ちゃんは、「このまま行けば薬減らせますよ!」と前向きに言ってくれるが、自分の勘では、むしろもっと増やしてもいいレベルだと思っている。

 

明らかに違う。

 

多分、最近まで処方されなかった理由は、希死念慮があったからだろう。よくよく調べていると、炭酸リチウム飲みすぎると、中毒の危険があるらしい。

 

だから、私が、「もう死んでやるーーー!!!」って持ってる炭酸リチウム全部飲んだら最悪の場合死ぬのだ。

 

 

心の病気は自分にも見えなくて、「ああ死にてー」と思う日が毎日だけど、とりあえず薬を飲めば、まだ生きていける。

 

 

音楽は、♯とか♭とかを1音で表せるようにすればいいと思う

 

 

音楽は、♯とか♭とかを1音で表せるようにすればいいと思う


本当にただの雑談


右脳を使うことはあまり得意ではないが、いつかやってみたいなーって漠然と思っているのが音楽。

ただ、小さい頃から困っていることがあって、
「ドレミファソラシドは一音で発音できるのに、ド# とかはなんで、一音で発音できないんだろう??」と。

ピアノで言うところの黒鍵の音も一音で発音できれば、全12音、全部が発音でき、絶対音感を鍛える上でも便利だと思うのになー。

と思って調べたら、ドイツ語音階というものがあった。


http://studay.info/onkai/onkai02.php
http://alborada12.web.fc2.com/jidou-kaimeionmeipage.html


ツェスとか言う言葉は、ドイツ人なら(ちゃんとドイツ語を読める人的には)1音だそうで、
ああ、全ての音が1音で表せると便利だなーーって思った。


確かに、幼い頃から音楽の英才教育を受けている人はコレが良いのかもしれないが、
ドレミファソラシドを定着させられてしまった私のような凡人ジャパネーゼはどうしたらいいか。

ということで、ドレミファソラシドを補完する音を考えてみた。

まず、日本人は母音が超大事ということで、a i u e o をしっかり発音できる。
また、アメリカ音階は Ri と Li があって、多くの日本人は(というか私が)R と L の発音を区別出来ないので、日本人が聞いても聞き間違え無い子音を選択する。


と、以下のようなパターンが出来た。

Do Re Mi Fa So La Si Do
Da Ri Va Zo Ti


ちなみに参考にしたアメリカ音階は

Do Re Mi Fa So La Ti Do
Di Ri Fi Si Li


多分個人的な感覚なんだろうけど、半音上がる/下がる と、濁音って何か似てる気がしてて、
ファの半音上がる音がヴァ(バ?)になると言うのは、わりとしっくり来る。

ただ、最初から濁音のドとか、濁音が存在しないレとかどうするんだってことで、
Ri はアメリカ音階からパクってきた。Da は、Di でも良かったんだけど、Ri と音似てるよねってことで避けたらDa になった。

Ti は、なんか昔リコーダーでシ♭を吹く時は口をトゥの形にしなさいって習った記憶があるから、
Ti にした。何の根拠もない。


これで、splatoonシオカラ節が音階だけで歌えるようになる。
シオカラ節は面白い曲で、なんと、メロディラインが全部黒鍵で構成されている。ねこふんじゃったに近い何か。


Ri---Da-Ri---Da-Ri---Da-Ri-Da-Ti-Da-Ri----Da-Ri--Da-Ri-Va-Zo-Ti-Ri---Da-Ri--Da-Ri--Da-Ri-Da-Ti-Da-Ri-Va-Zo-Ti-Zo---Zo-Va-Ri----Ri-Va-Zo-Ti-Da-Ti-Zo-Va-Ri-Da-Ri------

 


濁音ばっかしで発音しにくい!!!!笑

 

 

雑談終わり。

 

一応、考案した人ということで、ぶっそ式音階とでも名付けておきます。笑
誰も使う人いないと思うけど。もし使うことがあったら教えてくれると嬉しい。笑

コミュ障が世界を救う

そう信じて生きろ死ぬな

 

1989年。若い人はもう殆ど知らない。私だって生まれていない。連続幼女誘拐殺人事件という事件があり、この犯人の部屋のオタクグッズの数々から「オタク=犯罪者予備軍」の認識が広がった。


2017年。当時に比べれば、オタクのことを犯罪者予備軍と呼ぶ人は随分減ったと思う。
オタクが主人公の、世界を救う物語だって、増えてきた。


オタク趣味を持つことを隠す人も減ってきた。世の中平和になった。

 

 

 


本当に???

 

そう簡単に平和にならないのが、人間何だよなー。

 

人間たちは、自分と異なる人種・宗教・思想を差別しないとやってられないらしい。


オタクが市民権を得てしまったので、次の差別対象を探さなければならない。
その差別対象が、コミュ障。になった。

コミュ障の具体的な定義は議論が分かれるところだと思うけど、要するに、コミュニケーションが取りにくい奴らの事である。具体的な「高機能自閉症」とか「ADHD」とか、発達障害というカテゴリでディスられることが多い。

今は苦しい氷河期だけど、
絶対20年後くらいに、コミュ障が世界を救う日が来ると思う。

親が教師だったら、子どもは不登校になりやすい。

そんなの、至極当たり前の話じゃないか。なんで、みんなわからないんだ。

というのが今日のテーマ。

 


普通の家庭の場合、兄や姉は、弟、妹が生まれるたびに、愛情が分散し、単純に計算すれば、親から得られる愛情の量は半減する。いやいや、子どもが何人生まれても愛情は一緒だよ。と思うかもしれないが、それはあくまで親の中の気持ちで、子どもからすれば、新しく生まれた子に手間暇が取られてしまう分、親との接触回数はどうしても減ってしまう。


親が教師の場合。兄弟が40人近く居るような状態にあると考えるのが良い。


自宅で自分の子どもが聞こえる範囲で、自分が受け持つ子どもの話をしたりしていないだろうか。
もしそうなら、絶対にやってはいけない。

子どもは、その「出会ったこともない」「親の受け持つ子ども」にジェラシーを感じる。兄弟がたくさん居るかのように、受け取ってしまう。理性で分かっていても心がそう出来ている。


たとえ、その子の事を誉めていようと、ディスっていようと、自分の受け持つ子について述べる。
というのが、自分の子どもにとってどれだけネガティブな影響をあたえるか分かっていない。

 

さて、問題がなければ「兄弟が多い」くらいの認識で良いのだが、例えば、子どもが学校でいじめを受けているとすればどうだろう。

当然、学校は辛く苦しいものになるだろう。行きたくないだろう。誰かに助けを求めたくなるだろう。しかし、誰に頼れば良いのだろう?先生?親? まぁ、先生が解決してくれないから次は親に助けを求めるわけで。

しかし、考えてほしい。親は助けてくれない。難しいと思う。だって学校違うし。
でも、親は、その親の愛情によって面倒を見ている見知らぬ誰かの子どもの話をしている。

私はこんなに困っているのに。

私よりも、見知らぬ誰かの子どものほうが大事なんだ。私なんて要らないんだ。

誰も私を助けてなんかくれないんだ。

学校に行きたくない。

このまま消えたい。

 

 

と徐々に思考回路がネガティブに。自己効力を失いながら落ちていく。

どんな問題でも、メンタル関連の問題は全て、自己効力の低さにあると思ってて、
やっぱり、兄とか姉とかというのは、親の愛情が欲しい段階で、弟/妹の出現により
我慢しインナーチャイルドを癒しきれずに育つという面がある。

それの大兄弟版が、親が教師という職業である事をきっかけに、仮想的に発生しているのだと思われる。