蓄積された怒りをどう発散すれば良いのか
怒りの感情ってアレルギー反応みたいなものだと思ってて、体内の一定の許容値をオーバーすれば発症する花粉症だと思ってる。
蓄積された怒りをどう鎮めるのか。
そしてその怒りが自分の原動力になっている場合は、どうしたらいいのか。
まず、大前提として、怒りドリブンで行動すると、いい結果は絶対に帰ってこない。短期的にはいい結果が帰ってくるかもしれないけど、長期スパンで見れば絶対に良くない。幸せが幸せを呼ぶように、怒りは新たな怒りを生む。
そもそも、怒りで動くということは、他者のエネルギーによって動くということであり、主体性がないし、自分という人格の否定を自分でやっている事にほかならない。
でも、もう現界なのです。
蓄積され続けた怒りが、くしゃみや咳のように、溢れ出てきて止まらないのです。
心を取り戻した結果、心の奥底から怒り の感情が溢れ出てきて、制御できないのです。
それは、今まで「諦め」という形で奥底に凍結していたもので、「心を取り戻す」ということは、自分の心の奥底にある「諦めていた怒りの感情と向き合う」という、かなりリスクのあることなのです。
そして、溶け出した感情というのは、時と場所を選びません。
具体的には、小学生のときに蓄積された感情が出てきたり、社会人になってから蓄積された感情が出てきたり、とりとめがないし、「それってこうすればいいじゃん」って冷静に指摘されると「確かに」と思うのですが、それがもう悔しい。なんで自分は小学生みたいなアホな事を言っているんだと。
諦めることに慣れてしまった私は、怒りの感情への向き合い方が超下手で、この辺がまだまだ子供なんだなーと思うが、ここで止まったらもう二度と復活できない。
どんどん暴れまわるしか無い。
腐ったまま死にたくない
最近調子が良かったんだけど、急にまたガクッと折れた。
ベロシティが急激に下る感じ。分かる。分かるよー。この状態に入ると、何も出来なくなる。まず、読字困難になる。3行以上読めない。書けない。発話できない。
で、何故か奇跡的にこの状態を俯瞰することが出来た。
これは、奇跡だと思う。
うつ状態の私と、躁状態の私が一同に同じ肉体に存在し、体を動かそうとしている。
で、わかったことは2つある。
1つ、うつ状態の私は、躁状態のときの私の記憶を忘れているということ。例えば「良かったこと」とか「楽しかったこと」とか「夢」とか「目標」とか「今しなきゃ行けないタスク」「仕事」何もかもを忘れてしまっているということ。
性格には忘れているというよりも、「イヤダイヤダ」「死にたい死にたい」という感情が全面に出てきて、その感情以外が見えなくなる事が分かった。
いや、頭では理解していたつもりだが、理解している頭というのは躁状態の私なので、これを体で理解したのは大きい。
もう一つは、何かのきっかけで、そういう「うわああああ」っていう混乱状態が解除されること。これは、今まで色々な要因があったから、正直どれが正解か分からない。
正解に近いと思っているのは、たらふく飯を食うこと、寝ること、走ること。
で、残念ながら不正解な行動は、プログラムを書くこと。
コレに関してはまた考えなければならない。
荒療治をせねばならんな………。
躁うつ病(双極性障害)の説明に出てくるグラフは間違ってる
病院とか、メンタル系の本で必ずと言ってもいいほど出てくる、こういう感じの図
https://stat.ameba.jp/user_images/20091230/12/harmonic-soul/ca/c2/j/o0800043710358154002.jpg から引用
y軸の上方が躁、下方が鬱っていう置き方なんだけど、そうじゃない。
私の考える、躁うつ状態の関係性は以下の図のような感じ。
y軸は、心のエネルギーの向き。+ がポジティブ。- がネガティブ。
うつ状態は、心的エネルギーが0付近でとどまり続けるカームベルトみたいな状態だと思っていて、躁鬱と言うのは、エネルギーの振れ幅が大きすぎる状態だと思う。ここまでなら既存の図で全然問題ないのだけど、私にとって大事なのは、躁状態にも二種類あるということ。
すなわち、「創造的躁状態」と「破壊的躁状態」だ。わかりやすく言うと、「俺今日バリバリ仕事できるぜー!!」という状態が、創造的躁状態で、電車に飛び込むような状態が、「破壊的躁状態」だ。
うつ病より躁鬱病のほうが自殺率高いのは、この「破壊的躁状態」が発生する確立が高いから。うつ病の回復期に自殺率が高いのは、気分の波が現れ始めて、プラスにもマイナスも振れ始めるから。
既存の図じゃこれらが説明できないけど、この図なら、その現象を簡単に説明できる。我ながら良い発明品だ。
The dark may be with 2018
2018年になりました。
2017年の振り返りにも書いたとおり、いつの間にか自分の中では裏ブログであるこちらのほうがメインになってきました。最初は「とりあえずネットに公開するけど、むしろぐぐって引っかからないくらいのPVがいいな」と思っていたのですが、さすがGoogle先生。一年以上続けるとヒットするようになるんですね。いやはや怖い世の中だ(棒
いつの間にか、スターや購読者もつくようになった。ほんとにありがとうございます。
さて、巷には、悩める子羊のために数多の自己啓発本、宗教書、メンタル系の色々な本があるが、基本的には「参考にはなる」が「役に立たない」と思って生きていくのが良い。
例えば、成功者のための大原則として有名な本「7つの習慣」とか「道は開ける」「人を動かす」とか、「ストレングスファインダー」とか、そういう類の本。確かに、ためになることはガンガン書いてあるが、じゃぁ7つの習慣全部真似するのは愚行である。だって、それ書いた人と俺って別人じゃん?
おそらく7つの習慣を書いたコヴィーって言う人は、コヴィーさん自信が行きていく上であーでもないこーでもないって90年近く試行錯誤したことの総まとめだと思う。最近電子書籍で「トットちゃん」を読んでいるのだが、アレだって黒柳徹子なりの総まとめなんだと思う。
さて、珍しく表の顔の話のことを少ししようと思うが、私はプログラムを書く人である。いや、ハンドルネーム共通なんだからぐぐれば出てくるんだが。
便利なツールとしてフレームワークという概念が有る。まぁ、便利な機能をあらかじめ作っておきました。みたいなやつだ。「電子レンジでできちゃうお手軽料理レシピ!」みたいな。そういうの。そのフレームワークだって、誰かが「コレは便利だー」と思ったものを集めたもので、私が便利だーと思ったものではない。自分でフレームワークを作るしか無い。
2017年は、思ったことを可能な限り支離滅裂に書いてきたが、2018年は、もう少し「闇」を体系化しようと思う。私なりに。だから、ブログデザインも多分、アフィサイトっぽくなる。
それはそれで嘘っぽいから嫌なんだけどな。
ということで、物書きとしての技量を高めなきゃなー。とも思う今日のこのごろ。何卒よろしくお願いします。
世の中、みんな、怒ってるの
世の中皆、怒ってます。
何に怒っているのかはわかりません。
ネットの調子が悪いことに起こっているのかもしれないし、会社で先輩に企画書を跳ねられたことに起こっているのかもしれないし、夫がポンコツで怒っているのかもしれないし。
皆、怒ってます。
喜びや楽しさの数だけ、怒ってます。そりゃそうやわ。人間笑ってばっかりの奴は怖いわ。悲しい時も、怒るときもある。
怒るってエネルギー要るよね。だから、怒り続けるとそのうちエネルギがー切れてきて、心の温度と一緒に体温も下がっていって。そしたら急に寂しくなってきて。怒っているのに。
寂しいのにも慣れてきたら、もう動くことすら出来なくなる。「どうせ」「もう」「何もかも」「どうでもいい」
心が冷え切って、何もかも諦めちゃうんだよね。
「あれ。私は一体何に怒っていたんだっけ」
気がつく頃には何もかもがなくなっている。
なんでそんなに怒っていたんだろう?
あの人はなんでそんなに怒っているのだろう?
よくよく聞いてみると、皆同じなんですよ。
「なんで私の声に耳を傾けてくれないの!?」
皆同じなんです。
意固地な人も、不貞腐れた人も。
だから、「どうしたの?」「何があったの?」って聞いてあげる。それだけでいい。
急に、饒舌になって、話終わることには、建設的が議論ができるようになってるから。
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SNS 上でも、「あんた別に何も関係ないやろ!」って人が
突然、「そんなんおかしいわ!!」ってキレリプ送ってくることある。
そんな人達も。誰かに怒りを聞いてほしいんだなって。
怒りをもって聞いてあげて。そしたら世界は平和になるから。
ヘイトスピーチを禁止するんじゃなくて、ちゃんと。怒りを聞いてあげて。
闇とともに2017年を振り返る
「闇とともに」って言いたいだけだろ!
今年、個人的に一番大きかった変化の1つに、このブログを始めたことがある。未だに本家のブログのPV数には達しないのだが、2017年更新回数は表2、裏10回以上と、結構書いてきた。
2017年は何をしたか。正直なにもしてないと思う。
まぁ、社会復帰がテーマの1つだったからな。。。。。。。
見えたものもあるし、未だによくわからないものもある。
生き方に正解はないが、自分にとっての最適解は必ず存在する。例え五里霧中の闇の中で、それをあがいてもがいて探し続けるしか無い。
上手く行かなかったもののほうが多いが、発見できたこともある。酸化リチウムの処方。このブログを書くこと。あと、本当に最近だけど、Kindle の発見とか。
来年の目標は立てない。強いて言うなら例によって、生きることかな。できれば闇の出口まで一理くらい近づくと良いな。
人の心は、沢山の小さなPTSDで出来ている。
PTSD。心的外傷。所謂トラウマってやつですが、多かれ少なかれこれは皆持ってます。
フラッシュバックってやつですねー。
というより、人間、生きるのにはこのPTSD という機構は非常に大事なもので、例えば
「近くに雷が落ちてきて死にかけた!」という情報は、直接生死に関わりますよね。
そういう、後天的な知識だけど、より本能に近いレイヤーに記憶される記憶がPTSDの正体です。本能に近いので、類似する状況が発生したら、フラッシュバックを発生させ「ヤバイぞ」と警告してくれます。
そんなわけで、私は様々なPTSDを抱えており(病名のつかない、誰しもが持ってる小さなものですよ!?)
こいつらの集合体が、人間不信・自己効力感の低下を招く原因になってます。
じゃぁ、どうやって治すのか。克服するのか。
ということで、認知行動療法という手段が上がってくる。
けど、人間不信の奴が、いきなり初対面のカウンセラーの話を信用できるわけがない。
じゃぁどうするのか。自分でマスターして自分でやるしか無い。
ということで、せっかく買ったKindle でこんなの発見した
<a href="https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0745HYN4B/ref=as_li_ss_il?ie=UTF8&linkCode=li3&tag=bussorenre-22&linkId=d0c44e329a8c133d208967433e1377f6" target="_blank"><img border="0" src="//ws-fe.amazon-adsystem.com/widgets/q?_encoding=UTF8&ASIN=B0745HYN4B&Format=_SL250_&ID=AsinImage&MarketPlace=JP&ServiceVersion=20070822&WS=1&tag=bussorenre-22" ></a><img src="https://ir-jp.amazon-adsystem.com/e/ir?t=bussorenre-22&l=li3&o=9&a=B0745HYN4B" width="1" height="1" border="0" alt="" style="border:none !important; margin:0px !important;" />
皮肉な話で、最近日本語で書かれた本がなんか信用できない。
結構がっつり内容があるので、1人読書会の要領で徐々にまとめていこうと思う