May in the dark

生きるのに困ったら

親が教師だったら、子どもは不登校になりやすい。

そんなの、至極当たり前の話じゃないか。なんで、みんなわからないんだ。

というのが今日のテーマ。

 


普通の家庭の場合、兄や姉は、弟、妹が生まれるたびに、愛情が分散し、単純に計算すれば、親から得られる愛情の量は半減する。いやいや、子どもが何人生まれても愛情は一緒だよ。と思うかもしれないが、それはあくまで親の中の気持ちで、子どもからすれば、新しく生まれた子に手間暇が取られてしまう分、親との接触回数はどうしても減ってしまう。


親が教師の場合。兄弟が40人近く居るような状態にあると考えるのが良い。


自宅で自分の子どもが聞こえる範囲で、自分が受け持つ子どもの話をしたりしていないだろうか。
もしそうなら、絶対にやってはいけない。

子どもは、その「出会ったこともない」「親の受け持つ子ども」にジェラシーを感じる。兄弟がたくさん居るかのように、受け取ってしまう。理性で分かっていても心がそう出来ている。


たとえ、その子の事を誉めていようと、ディスっていようと、自分の受け持つ子について述べる。
というのが、自分の子どもにとってどれだけネガティブな影響をあたえるか分かっていない。

 

さて、問題がなければ「兄弟が多い」くらいの認識で良いのだが、例えば、子どもが学校でいじめを受けているとすればどうだろう。

当然、学校は辛く苦しいものになるだろう。行きたくないだろう。誰かに助けを求めたくなるだろう。しかし、誰に頼れば良いのだろう?先生?親? まぁ、先生が解決してくれないから次は親に助けを求めるわけで。

しかし、考えてほしい。親は助けてくれない。難しいと思う。だって学校違うし。
でも、親は、その親の愛情によって面倒を見ている見知らぬ誰かの子どもの話をしている。

私はこんなに困っているのに。

私よりも、見知らぬ誰かの子どものほうが大事なんだ。私なんて要らないんだ。

誰も私を助けてなんかくれないんだ。

学校に行きたくない。

このまま消えたい。

 

 

と徐々に思考回路がネガティブに。自己効力を失いながら落ちていく。

どんな問題でも、メンタル関連の問題は全て、自己効力の低さにあると思ってて、
やっぱり、兄とか姉とかというのは、親の愛情が欲しい段階で、弟/妹の出現により
我慢しインナーチャイルドを癒しきれずに育つという面がある。

それの大兄弟版が、親が教師という職業である事をきっかけに、仮想的に発生しているのだと思われる。

 

何を差し置いてでもビジュアルは大事

 他の国の事は知らないが、少なくともこの日本という国において、ビジュアルというのは他の全ての要素を差し置いて、圧倒的に大事な要素だ。


物凄くわかりやすく有名な例え話だけど、

2人の男性保育士が居て、片方はイケメン、片方はキモオタ顔。校外学習(要するに遠足)に子どもを連れて行って、(何も悪いことはしていないのに)キモオタ顔のほうだけ通報された。的なエピソードがあるとしよう。

実際にこんな話は聞いたことはないけど、実際にあってもおかしくない話だよな。と想像することはわりと簡単だと思う。

また、こっちもわりと有名な論文の話で、犯罪者の顔を整形したら他の再販防止手段よりも圧倒的に再犯率が下がったというデータもあるし、大学に行く学費にお金を費やすより、整形したほうが人生圧倒的に豊かになった。という女性の実話も少なからず存在する。


何を差し置いてでもビジュアルは大事だ。


最近どこで読んだか忘れたけど、スポーツ選手はイケメンが多い。という記事があった。
「運動をすればイケメンになれる」という理論ではなく「イケメンだから運動ができる」という理論の趣旨の記事であった。


なんでそんな事が発生するかというと、スポーツの才能を決めるのは幼少期のスポーツへの効力感で決まるとされており、最も影響が大きいのは誕生日である。

これは、(日本の場合は)4月に生まれた子のほうが10月に生まれた子よりも半年分多く成長しており、特に身体的能力の差が顕著に出るスポーツの分野で、優位に立ちやすく、自己効力感を得られやすいからとされている。

次点で、外見的な特徴とされており、やっぱり美男美女に生まれた子は、周囲から愛されやすいというデータも出ている。他の子よりも周囲から愛されることにより、自己効力が高まる。

 

 

何を差し置いてでもビジュアルは大事だ。

時代によって美男美女の基準は大いに変わると言われている。

例えば、平安時代の絵にかかれている女性は、みんな丸々しているがこれは当時、そういう丸い女性が美人とされたからだと言われている(実際の所は1000年前生きてたわけじゃないから分からないけど)


ここから先は推測なのだけど、人間は、その人の外見を見ただけで、その人が生存に有利か不利かを判断しているんじゃないかなと思う。

事実、平安時代において、丸々している女性というのは、裕福な家庭の生まれである証拠でもあり、また出産に強いという(安産型)という、生存に有利な情報を如実に示していたんだと思う。

 


現代において、色々な事がややこしくなった時代ではあるが、人間は外見で、その人が生存に有利か不利かをある程度判断しているんじゃないかなと思う。

 

何を差し置いてでもビジュアルは大事だ。


ビジュアルは、たしかに生まれ持った外見も有るが、身振り手振りや、服装・化粧、言葉遣いなど、努力で改善出来るところも、結構あると思う。

整形をするなら、整形をする費用を稼いで出費するのも、ある種努力の1つだと思う。

そういう、努力とかも含めて、ビジュアルという表層に出ているのかもしれない。

澱み

将来、人類は2つに分かれていく。

なんて書き出しはじめると、「あぁ、また意識の高い系の話か」と、思われるし、私もそう思う。


「英語ができる人間と出来ない人間に分かれていく」とか「プログラミング出来るやつと出来ないやつに分かれていく」とかが典型的なパターンだと思う、金持ち父さんとか貧乏父さんとか。

人間は二元論が好きだ。善か悪か。だから、ある物事をざっくり二分割し、片方は善。片方は悪と決めつける書評や記事が売れるし、今も進んでいる。

好きだ。というか、多分、二元論しか出来ないんだと思う。


コンピュータとか、AI の話をすると、以下のようなカウンターがどこかから必ず帰ってくる。

「機械はゼロかイチしか判断できないけど、人間はより曖昧な判断を下すことが出来る」

この命題は偽で、人間もぶっちゃけゼロとイチしか判断出来ていない。

結局、このゼロとイチをどれだけ組み合わせることが出来るか。離散値的な視野をどれだけ擬似的に連続値的な視野に落とし込めるかが、生きる上で大事だと思ってる。


大事なことは、二元論ではなく多元論。

でもこれ、難しいんだよな〜。

 

 

 

大企業に入ってとりあえず3年たつやつのボヤキ

 

とある大企業に新卒で入社してそろそろ3年経過します。
所謂「3日でやめるか、三ヶ月でやめるか、三年でやめるか」と言われる三年がもうすぐくるのです。


三年近く大企業という組織に居た振り返り(主にバッドプラクティス)を書きます。

 

# 学生時代考えてたこと

まず、学生時代にまで話を遡ると、当時は本当に何も日本社会を理解して無く、わりと夢と希望だけで生きてた若者でした。

まだ女にも興味があったし、野心もあった。
海外に飛び出したいとか、結婚したいとか、大学院に行きたいとか、色々な夢はあったのだけど、様々な制約を考えると、それらを捨てることになります。

当時の彼女に「あなたには夢がない」と言われるくらいには、その時から多分精神的に枯れてたんじゃないかな。笑

※ ↑は少し意地悪な書き方で、「あなたには夢がない(けど、もう少し未来を夢見て生きても良いんじゃない?)」が正しい。ごめん。

で、様々な制約とは

- お金
- 能力
- 自信

の3つで、特にお金がかなりボトルネックでした。

「大学までは出す。けどその先は知らん」と言われて育ってきたし、私もそれを当たり前だと思ってましたし、何より両親の状況を見て、これ以上お金の援助をお願いするのは無理だと思ってました。

(大学も、特待で学費の大半を免除してもらってなかったら行ってなかった

ので、大学院に行くとか、海外に留学するとか、そういう「お金のかかる事」をやるのは普通の方法では無理だと思ってたし、「普通じゃない方法」が当時の私には見つからなかったので、これは選択肢から外れました。


ので、夢とか希望とかクソもなく「就職するか」というのが現実でした。

 

追記:

絶対指摘されると思ったので書いておくと、「お金」のせいにした「お前の逃げ」じゃないのか?と思うかもしれない。答えはYesで、そのとおりだと思ってる。けど、それは勝てない勝負だから降りたと思ってもらう認識のほうが正しいと思う。

 

より正確には、お金という問題を、未来の私が解決できる自信がなかった。借りるにせよ、更に両親のスネをかじるにせよ、その責任を果たしきれる自信がなかった。

 

 


で、当時持ってた内定先の中で、一番給料が良くて待遇がいいところ。で今の企業に入りました。

ベンチャー企業というカードも手札にあったのですが、「とにかく両親を安心・納得させる」という裏ミッションもあったので、大企業のカードを切りました。

後から考えるとこの判断は私にとっては大正解だったと思っています。

 

 

# 入社してから休職まで

半年で私は精神的に壊れ、「希死念慮」の名目で「措置入院」を突き付けられ隔離病棟にぶち込まれることになります。

原因は、はっきり分かっていますが、まだ多くは書けません。
(最初は書いてたんだけどね。明文化するとアレコレややこしい時代になったから

とにもかくにも、様々な事故が重なり、私はまともに人間の言葉を話せない状態になりました。
(大げさに聞こえると思うけどこれは本当の話で、人間精神を壊すと、twitter 上で「あーまじで死にたいわー」すら言えない。「ああ・・・・ああああうあああ」とかいううめき声しか出なくなる。

 

# 休職 - 措置入院から退院まで

記録に残ってる休職開始日と、記憶に残っている日が約一ヶ月くらい間が有るので、その間に(あんまり覚えてないけど)色々な事があったんだと思います。


とりあえず、本当に動けなくなった私は、会社から両親へ「○○さんが出社しない。連絡も取れない」と通告が行ったそうで、両親が慌てて私の自宅を訪れ、(後から両親から聞くには、私は明らかに目線が明後日の方を向いており、動物のように他者への警戒心をむき出しにしていたそうです)私をなんとか実家に連れ帰ります。

 

 

 

この先1光年

 

 

 


さて、実家に帰って、一通り騒ぎ、暴れ終わった後、私もある程度正気に戻ります。

この、正気に戻るという、たった数分の間に、記憶の無い一ヶ月を一瞬で追体験しているみたいで、人生で二番目に苦しいフェーズだった。

それまでの私の行動原理は、「怒り」でした。
こうしたらもっと良くなるのに!(なんでやらない。できないんだこのやろー!
という怒りを世の中にも、そして自分にもぶつける。「あれ、これおかしいぞ?」と思ったら、猪突猛進で切りつけかかる。


そんな生き方をしていたのですが、自分の行動のエネルギー元になっていた、「怒り」が消えていく。すーーっと消えて、深い深い諦めに変わっていく。

あぁ
どうせ
なにをやっても


そんな言葉に、自分の心が全てが置き換わっていく。

「お前は」
「どうせ」
「なにをやっても」
「失敗する」
「だからダメだ」
「お前の同期は、今も出社しているぞ」
「お前の友達は、堂々と生きているぞ」
「お前はダメだ」
「お前は屑だ」
「やっぱり俺は社会不適合者だったのか」
「そうだよあく死ねよ(淫夢厨」

このかぎかっこ付きの文章全部。1秒で読み切れますか。無理ですよね。
でも、脳内ならそれが出来るんです。そしてそれが、自動的に、延々とループされる。


「あと人生50年以上あるらしいんだけど…」


実家へ帰宅した翌日。
両親に連れて行かれ、サナトリウム という所に行きます。
サナトリウム??」と思ったのですが、日本語に直すと、長期療養所で、私が行った所は、精神を壊した人以外にも、認知症などの方がいらっしゃいました。

 

とにもかくにも、ここで、私は医者に「措置入院」という紙を叩きつけられます。
これを見た瞬間、最後の理性が全て働き、「このままおとなしく措置入院したら、きっと一生出れない」
と考え、医者・両親・その他のスキを見て、全速力て走って逃げることにしました。

後から考えれば、「このままおとなしく措置入院したら、きっと一生出れない」というのは、半分間違いだったのですが、とにかく、その時の私の「逃げる」という判断は正解でした。

25kmは走りました。(マジです)

なんせ措置入院というカードを叩きつけられているんだから、すぐに警察が動くと思ったので(実際には動かなかったけど)足がつきそうな交通機関を使わず移動することを決めたまでは良かったのですが、

なんと財布がない。

しまった、普段のバッグにしまったままだった。

 

この時初めて、SUICA の残額数百円じゃ何も出来ないことに気が付きます。

幸か不幸か、その時点での最寄駅から実家に帰るまでの交通費分はチャージされており、

「これはあれだな」
「素直に措置入院しろってことだな」
「いいや。どうせもう俺の人生終わったんだ」
「あと50年、隔離病棟ぐらしか」
「何をして過ごそうかな」

と、良くも悪くも全てを諦め受け入れ、実家に戻り、翌日改めてサナトリウムを訪問し、措置入院を受け入れる旨を伝え、隔離病棟に入院することになりました。

 

サナトリウムは病棟が2つに分かれており、所謂普通の病棟と、全ての窓・ドアが二重になってロックも二重になってる四重結界の隔離病棟があり、当然後者に入ることになります。


そこに入ってる人は、明らかに認知症だったり、明らかに強迫性だったり、明らかに境界例だったりするのですが、私もその仲間入りを見事果たしました。

私は前向きでした。
50年間死ぬまで隔離病棟で何して過ごそうかな〜。
って本気で考えていました。

病室に持ち込むものは著しく制限されたのですが、学習参考書は問題なかったので
(学校でのいじめなどで心を壊し、病棟で勉強している子が居たため)
英語の文法書を一冊買ってきてもらい、英語の勉強を熱心にはじめました。

他にすることも無かったしね。電子機器は一切ダメで、外部と連絡を取る手段も無かったので。

その時の私は、本当に全てを諦めていたので、逆にメンタルは超健康でした。

強いて言えば、毎日引きこもらざるを得なかったので、運動不足を気にしていたくらい。笑

 

 

他の入院患者と比較し、明らかに1人健康的すぎた。

 

追記:

 というか、隔離病棟に居るの、余計に精神衛生上悪いと思う。上述の通り外にでれないし、なにより「閉じ込められてる」「監視されてる」という、自由を著しく制限されている環境下なので、すごい罪人ではないけど、罪人みたいだなって感じながら生きていた。

 

 

一週間後。

 

措置入院は解除されました。
それはそれで面を喰らいました。

医者「会社に復帰してください。問題ないと思います」

いやいやいやいやいや、どう考えても無理やろ。何言うてんねん。

 

 

と素直に反論しました。


結局、正確な診断名は出てませんでした。あのうめき声しか出なかった時の私をどう説明するねん。と。


そして何より、復帰してまたすぐにそんな状態になったらどうするねんと。それこそアウトやん!

 

後々の話だが、今、私の面倒を見てもらっている医者からは
「学会で発表していいですか?」と言われるくらい、私は、既存の心理学の枠組みに収まりきらない男だった。
いやいや、そんなところで、「既存の枠組みに収まらない男。キリッ」とか言われても…。


当時、サナトリウムで私を担当していた医者もそれには頭を抱えており、
「確かに、あなたには○○と××という傾向はある。だが、△△とも言えるし、見方によっては--とも言えるしなぁ……たしかに、健常とは言い難いし……むーん……」


という具合に、「自殺の危険はない」ということで、措置入院は解除されたが、
引き続き実家での、所謂「自宅療養」は続くのであった。

 

 


# 自宅療養から復職まで

実家に居ると、とにかく現実が目の前に迫ってくる。

私は「健康になって」「会社に復帰する」というカードと、「会社を辞めて」「バイトとかを始め」「フリーターになる」という選択肢があった。

大企業に入ってよかったと思う最大のポイントはココで、
労組 / 健保組合がしっかり存在している会社だったので、ある程度の金銭的な支援や復帰支援を受けることが出来た。
実家ぐらしで完全に生活は両親に依存していたが、最低限度生活できるお金を休職期間中、支給される。所謂傷病手当金というやつになる。(もちろん、休職期間には限りがあるが)
このような、傷病者へのサポートが無い会社も多く、なければ前者のカードはそもそも存在しなかった。


まだまだ精神的に不安定で、考えなければならないことも多く、うめき声こそあげなくなった物の、
誰も居ないところでは「死にてー」と無意識でつぶやく頻度は高かった私だが、
どう考えても「会社に復帰する」というカードが有るうちはそれを切るしか無かった。


このカードを切るリスクは1つで、また精神を壊したら今度は本当に廃人になるかもしれないという事。

要は、精神的安定を取るか、社会的な地位を得るか という問題に言い換えられた。
というのも、この国。私が思っていた以上に、公務員や一部上場の大企業の正社員というのは、身分を保証されているからだ。

この身分を失ったら家も借りれない、クレカも作れない、病院にもろくにいけなくなる。
アメリカの黒人差別をよそ事だと思えないくらい、この日本という国は身分社会だ。


そして、一度大企業を辞めると、再びここに帰るには難しい(少なくとも、当時の私の状態では)


ということで、復職を決意する。
しかし、このまま復職したら再び精神を壊すというリスクがあるので、

1. 毎週カウンセリングに通う(追記:診断とは別に通う。これ、保険適応外なので毎週とんでもないべらぼうな額を払わされる。
2. 想定復職日を決める

という2つだけを決め、後は時が満ちるのを待ちました。

なお、当時「新型うつ」とか「休職してるのに旅行行きやがって」とかいう記事をネットで見かけていたので、この期間中は復職するまで一切の他者との通信を絶ちました。

このインターネット社会、「SNSに居ない」というのは「存在しない」と同義なので、
「存在しない」なら何も文句を言われることはない。少なくともTwitter では発言していない。
Twitter の発言に対して揚げ足をとる足がないみたいな。

 

そして時が満ち、復職予定日。まるで何事もなかったかのように復職しました。


# 復職から1年以上経過して

復職してからの会社での出来事は書きません。
理由は上述の通り。

以降、精神的にはギリギリの状態を保ちながら低空飛行を続け、今もなお同じ会社に努めています。

 

とにかく、色々あったけど、最終的には、比較的、精神的に穏やかな環境に置かれることになり、いまに至ってます。


復職後の私にとにかく言えることは、本当に丸くなった。悪い意味で。
わりと色々な事に達観し始め、

「なるほど、ここはこういう理論で動いているのか」
それの良し悪しは問わず、その理論に、ただ従うのみ。

 

何も考えない。何も感じない。人形のように生きる。 Doll's Life.
それが最適解の生き方になりました。

 

一方で、とにかく犬になり、偉い人、年次の上の人に媚びを売り続けてます。

人形なんだか犬なんだか……。

 

理由としては、平社員には周知されない裏事情を少しでも把握して立ち回りを良くすること。政治ニアと揶揄される生き方してます。幸い、内部事情に非常に詳しい方と一緒に仕事をすることになったので、その点は非常に助かってます。価値観とかも合ってたし。感謝してもしきれん。

 

また、取り扱ってる商品の関係上、ネット上での行動は、私個人や会社へのとんでもない打撃を与えかねず、結局引き続きSNSからは身を隠すことにしました。

 

とにかく、私は、徹底した「リスク回避主義」になってしまい、あー典型的な日本人だなーと、こじんまり落ち着くことになりました。

 

見知らぬ女性と合うのすら怖いもん。

悪くいうと、人間不信が悪化してる。笑

 

# まとめ:これを読んでどう思ったかはわからないけど

私が学生の時、所謂意識高い学生向けに、「大企業に長く居ると、転職市場で価値が下がる(だから若いうちに起業したりベンチャーに入って苦労を積め」という風潮がありました。

これは強者や運がいい人の理論です。

人間いつ事故にあったり病気になったりするかわかりませんが、そういうリスクが少なからずあります。
自分が弱者に回ってしまった際に、それをカバーしてくれるセーフティーネットが、あってよかった。

大企業に入って、思う所はたくさんあります。旧来の古いやり方や価値観に囚われてるし、確かにこのまま居ると、腐るなって思ってます。思ってますが、上記のセーフティーネットに守られているというメリットが、デメリットを上回った。

 

私の場合はね。それだけの話です。

 

よく、親しい友人たちから「転職してうちのベンチャーで一緒に働こうよ」と誘われます。
これは本当にありがたい話だと思っているのですが、上記の理由で、副業としてのジョインはしてたりしますが、正社員としてはジョインしません。まだ。


でも、1つ、私は決定的に詰んでるポイントがあり、
早くなんとかしないと滅ぶなって思ってます。


それは、色々な事を諦めてしまうクセが(元々あったけど、更に酷いクセが)ついてしまった事。
将来自分はどうしていきたいか、どうやって生きていきたいか。みたいな展望がまるで無い。

 

人生残り全部余生!あと50年もある。って本気で思ってる。


ので、なんでも良いんだけど、
「自分はこうなりたいなー」っていう展望だけは持っておいたほうが良い。夢は一度見失うと二度と見つからないから、掴んだ夢は離さないで。大丈夫。いい女(男)やいい会社は、世の中5万くらいあるから。


大企業に入った最大の失敗は、夢を見失ったこと。自分の力で生きる意志を失ったこと。両親のスネをかじった後は、会社様におんぶにだっこ。それってすごくダサくない?でもそれを受け入れないと、いまの私は生きていけない。


単純に年を取ったのか、新しいことに挑戦する気力やモチベーションがわかなくなりつつある。


じゃぁなんでこんなまとめを書いているんだろうか?

 

 

それは、多分、私がまだ生きているからだと思う。人間として。

 

 

インターネットは心地よい居場所ではなくなった

高校生の頃も、私は今みたいに面白くなさそうな表情で日常を行きていたと思う。死にたいともつぶやいていたと思う。18歳以降生きるビジョンが見えなかったし、本当にどうしたらいいかわからなかった。

 

今にして思えば、あの時私がすべきことは一心不乱に学校の勉強をして受験するか、英語の勉強をして海外に留学する事だったと言えるが、そのどちらもしなかった。とういうか、それが現状を打開する手段だとは思えなかったし納得も出来なかった。

 

忘れもしないが、死を決断したタイミングは三回もあった。よく、自己啓発セミナーとかで、「人生グラフを書いてください」とか言われたら、極大と極小の波、が高校の三年間に三波も現れる、他に見たこと無いグラフを書くくらいには荒れてた。

 

そんななかでも生き残ることができたのは、インターネットがあったからだと思っている。

 

具体的には、某動画投稿サイトと、MMORPGと、当時やってたブログのお陰で私は生き残れた。

 

某動画投稿サイトで、自分の知らない事を知り、MMORPG では、現実とは違う自分になる事ができ、ブログのお陰で心の整理が出来た。また、インターネット上での人との交流も盛んで、慰め合ったり意見を交わしたり、インターネットによって救われていた。

 

 

10年の月日が流れた。

私は少年からおっさんになり(まだギリギリ20代だけどな!)、インターネットは変わった。端的にいうとリア充の巣窟になった。SNSが発達し、共感が共感を呼び、共感できないマイノリティの感情が排除されていく。そんな世界に変わり果ててしまった。

 

今の少年少女たちに、「嫌なことがあったらインターネットに逃げれば良い。色々な人と出会えるから」と言うアドバイスは、無駄である。なぜなら、彼らにとってはインターネットも現実も大差なく、自己を受け入れてもらえる、多様性のある空間ではなくなっているから。

 

また、インターネットには天才発掘という面もあった。現実世界では発揮できない才能を、仮想世界で発現させる人が多数いた。が、今は違う。インターネットは現実の一部となったので、現実で才能を発現させる=インターネットでも才能を発現させる になった。つまり、ネットならワンチャンある!みたいな、新大陸を探索する感がもう無いのである。

 

 

さて今。こんなブログタイトルでブログを書いている若年性老害症候群に見舞われている私であるが、高校生時代に比べると、楽なはずなんだが、高校生時代よりも精神がしんどい。年取って体力が落ち始めてるのもあるんだろうけど、それ以上に、現実世界でストレスを吐き出すはけ口がない。というのがある。(だからこそこのブログを始めたのだが)

 

 

さて、私はここで反省しなければならない。自らにとって心地よい居場所を創る努力を怠っていた。という事である。

 

10年前、私が享受していた世界は、誰かが作成した物である。そこに便乗していただけである。(実際、便乗するしか出来なかったが)。自分自身が心地良い居場所を自分で作ることを私はしなかったのだ。

 

インターネットは私にとって心地良い居場所ではなくなった。現実世界はもっとそう。でも、だからこそ、自分の居場所を自分で作る能力が求められる。

 

どうすれば良いんだろうか??でも、これは1つのミチシルベとして、心に留めておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

精神を壊した後の後遺症

あくまで私の場合なんだけど。

 

全部で3つ。

1. 頭が悪くなった。

2. 文章が読めなくなった

3. 人と関わるのが億劫になった

 

それぞれ詳解に書いていく。

 

1. 頭が悪くなった

さらに細かく分解すると、「集中力が落ちた」に全て集約されると思ってて、深い思考ができなくなったり、状況を一瞬で判断できなくなったり、どこかぼーーーっとしている(ように感じるし、他人からも多分そう見えている)ようになった。何かを深く考えることができなくなった。

 

2. 文章が読めなくなった。

これは、自分の精神崩壊度を如実に表してくれるバロメータで、文章が読めない。たった3行が読めない。Twitter すら読めなくなった。今こうやって自分で書いている文章も、見返すことが出来ない。

自分が一日何行本を読めたかで、その日の精神的健康度が分かる(笑)

 

3. 人と関わるのが億劫になった

これは、一番危険だと思っている。他者と関わると、すごく精神的なエネルギーを持っていかれる。人と関わるというのは、非常に高度な知的作業だということを、皆もっと理解した方がいい。相手の顔色を伺い、相手の言葉の裏を読み、相手が求めていることを考え、その場に最適な解を言葉や態度に示す。というのは、もう私には出来ない。

 

結論から言うと、うつ病になると、思考力が極端に落ちる。考える力が下がる。それによって色々な弊害が起こる。いや、うつ病になったから思考力が落ちたのか、思考力が落ちたからうつ病になったのか、その因果関係も正直どっちが先かわからないが、相乗効果があるのは間違いないだろう。

 

終日人と関わること無く最低限自分ひとりが行きてく金を稼げる仕事無いかなー……。

 

本田くらいがちょうどいい。それくらいこの国は病んでいる

以前、サッカーの本田選手が自殺に関する事を発言して炎上してたが、あれくらいがちょうどいい。俺がやったんだ!って。それくらいこの国は病んでいる。他人に感謝している余裕なんて無いくらい、余裕がない。それくらい病んでいるの。

 

 

今、生きる私たちは、多分、本田くらいがちょうどいい。