May in the dark

生きるのに困ったら

完璧主義、人間不信、無気力感。それらをハックし自分で自分をカウンセリングする

 

本題の前に、注意事項と、用語解説をします。

まず、私は精神科医でも臨床心理士でもありません。全て自分の経験則に基づき、やってきたことを淡々と説明するだけの記事になります。なので、内容が医学的に正しい保証はないですし、私以外の人に適用できるとは限らない事をご理解ください。

その上で、何か参考になることがあればと思い、後から自分を振り返る時のメモ代わりを兼ねて残します。

 

ハック

上手くやり抜く事。仕組みを理解し、それらを組み合わせてなんかいい感じにする。くらいの意味です。

 

自己肯定感

「自分はこの世に存在しても良いんだ」と思える度合いの事。自分好き度と言い換えても良いかもしれない。私はAという欠点もあるけど別にいいじゃん私そういうやつだし。って思える自分に対する許容量の大きさとも言える。「だからお前はだめなんだ」と言われ続けて育ったりすると、「私はAが出来ないからだめなんだ」と思い、Aが出来ない私に限らず、Aが出来ない他人に対しても攻撃的になったりする。「AもBもCも……なにもない。私には良いところなんて何もない!」となると自殺して死ぬ。

 

自己効力感

自己肯定感と勘違いしやすいが、こちらは、自分の行動に対する自信。

「何をやってもうまくいく」と思っている度合いの事。「やったこと無いからわからないけど、なんかできそうな気がする」と思ってる人は自己効力感が高い。自己効力が高い人は、壁に躓いても努力すればなんとかなると、頑張れる力が高いことが多い(最近本屋でよく見るレジリエンスとかにも、自己効力感の高さも含まれる)

「やったこと無いけどどうせ私に出来るわけがない」と思ってる人は自己効力が低い。どうせ頑張っても出来るわけがないと思ってるので、頑張ることが出来ない。結果出来ないまま終わる。

ただ、全体的な自己効力感(general-self-esteem)と、特定の分野に対する自己効力感(spedific-self-esteem)には大きな乖離があることがある。何も出来ないけど、絵を書くことだけは私は出来る。みたいな人も世の中には居る。所謂ASD発達障害と言われる人たちは自己効力感が分野によって極端になりやすい。

 

 

過去の原体験を再構築・再認識する。

客観的に見つめ直すには、自分の心情を可能な限り口に出す必要があります(or 文字でもブログでもTwitterでもなんでも良いです)

 

最近マシになりましたが、私は死にたいが口癖です。その口癖を吐いたとき、冷静にその言葉に対して「なぜ?」と問いかけるメタ人格を用意します(客観的に自分を見つめる存在を自分の中に持つ事。詳しくは後で)。

「死にたい」

どうして?

「どうせ俺なんて何をやってもだめなんだ」

何がだめだったの?

「何もかもがだめだったんだよ!!!うるさい!!」

じゃぁその「何もかも」を全部一個一個言って。

「今日起きれなくて寝坊して、仕事でもミスをしてしまって、彼女にも愛想を尽かされて(以下略」

 

と、一つ一つ、とにかく愚直に総当たり的に、深さ優先探索で深掘りします。

深さ優先探索とは、例えば「何もかもがだめ」の中身が

  •  寝坊したこと
  •  仕事でミスをしたこと
  •  彼女に愛想を尽かされた事

の3つで構成されていたとします。このとき、一つ一つ並行して聞くのではなく、まずは「寝坊したこと」に焦点を当てて深掘りします。すると

  • 子供の頃から寝坊が多くて叱られ続けてた
  • 夜、明日起きれないんじゃないかという不安で寝れない

という2つの事象が上がってきました。すると更に深掘りして「子供の頃から寝坊が多くて叱られ続けてた」ことに対してエピソードを聞いていきます。その間は、他のトピックは一旦横に置いておきます。これを深さ優先探索といいます。(深掘りとも言う

 

そうやって自分の考え方をとにかく解剖しつくします。解剖し尽くすとおおよそ「幼い頃の嫌な体験。記憶。エピソード」が浮き上がってきます。

それらは、思い出すたびに、当時の状況がフラッシュバックされ、息苦しくなって、言動が怪しくなります。ですが、これを書き出さないと話が始まりません。これが自分で出来ないうちはまだ回復期ではありません。むやみにやらないほうが良いです。

 

さて、ここで着目すべきことは、私の「生きづらさ」の核となっている人物は誰かという事と、「嫌な思い出」を打ち消すための肯定エピソードを作るにはどうしたらいいか。という事です。

 

「嫌な思い出」を打ち消すための肯定エピソードを作る。とは、つまり成長が止まったままの心を成長させる。ということになります。

 

もちろん、この精査作業は一回では終わりません。私は闇に落ちて10年くらいですが、その間何度も練り直して考え直して新たな発見があります。

 

基本的な作戦

さて、自分の過去の記憶を消したり、過去起こったことをなかったコトにすることは出来ません。ではどうするかというと、現在未来の自分の行動によって、過去の解釈を捻じ曲げます。

つまり、直接的に操作することの出来ない心に干渉を試みようとするのではなく、自分の体を先に動かすことで、体にひっついている心を連動させて動かすという試みをします。 

ここで言う体を動かすというのは、「運動をする」という意味ではなく「今まで行ったことがない事を行う」という意味です。

 

「矯正」のイメージに近いですね。

 

 

とにかく、悪い影響を与える他者と離れる

私に悪影響を与えていたのは誰か。それは間違いなく両親なのです。なので、私は物理的に両親と離れています。

悪影響を与える人と離れるというのは、学校を帰る、転職する、様々なパターンがあります。自分にとって悪影響だなと直感的に感じた人は、たとえ他の人がどんなにいい人だと評価していても、あなたにとっては悪人です。離れましょう。

 

これは逃げでも差別でもありません。出血を止める止血と同じです。

必要であれば精神科等に行って薬を飲んだりするでしょう。それは風邪を引いたから風邪薬を飲んだり、出血したから止血するのと同じです。

 

とにかく、悪影響のもとと関係を断つ事。これは必須です。

 

とにかく自分を甘やかす

まずは、自分自信を赦すところから始めます。

 

とにかく、経済力の許す限り自分の事を甘やかします。もちろん自分の経済力を超える事をやってはいけません。とにかくゲームを買うとか旅行に行くとか何でも良いんですけど、とにかく、甘やかすのです。個人的に一番効果的なのはメシです。

 

これも、わからない人からしたらわからない感情ですが、多くの人は「うまい飯食えて最高」としか感じないでしょう。

私のような自己肯定の低い人たちは、最初は「私のような人間のクズが、このような美味しいごはんを頂いて良いのだろうか」と罪悪感マックスで死にたくなります。多分、本気で泣きます。

それが「うまい飯食えて最高」になるまで美味いもの食います。

 

 

自分で自分を褒め称えまくる

自分を許すことが出来たら、次は自分を褒め称えます。

具体的には、「俺なんてクソゴミ野郎だ」と言うのではなく「俺マジ神なんじゃね?」と自分を褒め称える事をします。些細なことでいいのです。「俺今日も生きてるし神なんじゃね?」と言い続けます。良かったことはもちろん、ネガティブなことにも「俺神なんじゃね?」と言い続けます。

最初はこの「俺まじで神なんじゃね」作戦。自己肯定が低い人には恐ろしいほどしんどいです。「今日も俺は○○が出来なくてクソゴミだったわ」ってなります。それを辞めるのです。とても怖くてできないはずです。怖いですが言うのです。やるのです。どんな些細なことでも(例えば、俺今日ちゃんとゴミ出ししたわマジ神)でも、自分で自分の事を褒め称えるのです。

大事なのは、自分で、自分を、褒め称える。です。他人が褒めても意味ないのです。

 

 

 

とにかく自分を応援する

さて、以前も書きましたが最も難しい事です。

自分に対して「がんばれ。お前なら出来る」と言うことが最後にして最大の壁です。

 

なぜなら、精神を弱めたときの決まり文句に「頑張れ」と励ましてはいけないという大大大原則があり、弱まった期間が長い人ほど「頑張ってはいけない」と思っているからです。「頑張る」ということに対して距離を置きすぎて「程よい頑張り」がわからなくなったりしているかもしれません。

 

当たり前ですが、「程よく頑張ること」が最も大事です。頑張り過ぎも休み過ぎも良くないです。

この「自分にとって頑張れる範囲はどこか?」を探る作業が、最も難しく、最後の壁として立ちはだかります。

 

 

 

自分の「頑張る」を無理やり数値化する

さて、自分の「頑張り」をどうマネジメントするか。という話ですが、「スクラム」に近い方法が良いんじゃないかなと思ってます。

 

頑張りたいことと、それに対するしんどさを自分基準で大雑把にポイントを割り振り、できればしんどさのベクトル(運動系とか、手続き系とか、人付き合い系とか)みたいなのを書き出し、毎週振り返ります。

 

今週達成したポイントは10Pくらい とか「今週は調子良かったから20Pいけたわ」とか「調子悪かったから3Pしか出せてないわとか」と、数値化出来ないものを無理やり数値化してベロシティを図っていき、それが全体を見て徐々に上がっていくように改善するのが良いんじゃないかなって思ってます。

 

 

自分を客観的に見つめることのできるメタ人格を形成・改良していく

まず前提として、メタ人格(=自分を客観的に見つめる人格)を0から自分ひとりで形成することは絶対に出来ません。私達人間は、他社との会話・やり取りの中で、私のAという行動に対してA'という反応が帰ってきた。という経験を積んでいきます。その集合知がメタ人格になります。

問題は、Bという行動を実際に行ったことがなく、B という行動をおこしたら間違いなくB' という結果が帰ってくるだろうと思いこんでる場合です。

これは、実際にBという行動をおこしたわけでもないのにB' が帰ってくると思い込んでいるので、実際にはCが帰ってくるかもしれません。このような想像と現実のズレを認知のゆがみと言い、認知行動療法で取り上げられるテーマになります。

 

このとき必要なのは、Bという行動を実際に起こす勇気をくれる人です。そしてそれは自分ひとりでは絶対に解決しません。このとき、所謂プロのカウンセラーや認知行動療法師に頼んでみるのは選択肢としてはアリですが、正直微妙でした。(相性問題はあるので、あたりを引くまでガチャを引くというのもありますが、ちょっと諸事情によりナシに……

 

さて、このときに個人的に非常に有効活用させてもらったのが、ネトゲです。

最近だとVRChat とか良いんじゃないですかね。自分とは異なる別の人格の自分になれる。最高のRPGです。RPGは別にダンジョンに潜って敵を倒してレベルアップではなく、何かになりきる事を目的とします。

オリジナルの人格と、ロールプレイで演じられる人格は別物で良いし、物理的に切り離されているインターネット空間では非常に有効です。

現実世界の自分が行わないBという行動を、わりとあっさりインターネット上の自分が行えたりします。

そしてその経験はわりと現実の自分にも帰ってきていたりします。

 

まとめ

最後になりますが。

当たり前ですが、可能であれば、傍で支えてくれる人を見つけるのに越したことはありません。ですが、誰にでもそんな人がそばにいるわけではなく、そんな人が居たとしても常時傍に入れくれるわけでもないので、ある程度は自分でなんとかするしかないんです。

 

この闇ブログでこんなに長文を書いたのは初めてなので、誤字脱字構成ミス等色々あると思いますが、気がついたら修正していきます。何かの参考になれば。